「北海道新聞」2018年6月17日掲載『近現代アイヌ文学史論』書評のエラッタ

×近代アイヌ文学の嚆矢(こうし)として語られる山辺安之助の『あいぬ物語』(1913年)が25年、浅田幸政によりエスペラント語へ訳されていたと知った。

○近代アイヌ文学の先駆作として知られる武隈徳三郎『アイヌ物語』(1918年)が25年、浅田幸政によりエスペラント語へ訳されていたと知った。

「TH(トーキング・ヘッズ叢書)No.73、75」掲載「山野浩一とその時代」エラッタ

「TH(トーキング・ヘッズ叢書)No.73」掲載「山野浩一とその時代(3)」エラッタ

※本文、「菅秀実」と「菅秀美」で揺れていますが、「菅秀実」が正しい表記です。

「TH(トーキング・ヘッズ叢書)No.75」掲載「山野浩一とその時代(4)」エラッタ

・P.229、4段目
※『平凡社大百科事典』からの引用につき、最初の「2」(丸に2)を削除
・P.231、2段目
×人間中心主義を軽やかに配し

○人間中心主義を軽やかに排し

「図書新聞」2018年7月14日号に、「〈世界内戦〉下の文芸時評 第四一回 反ポリティカル・コレクトネスの終焉」が掲載

 「図書新聞」2018年7月14日号に、「〈世界内戦〉下の文芸時評 第四一回 反ポリティカル・コレクトネスの終焉」が掲載されました。今回は大きく紙幅を割いて早大セクハラ問題と北条裕子「美しい顔」問題を論じています。紙媒体での文芸記事では早い方かと思います。その他の言及作品は以下。

・古川真人「窓」(「新朝」)
神谷光信『遠藤周作フランツ・ファノン』(デザインエッグ社)
・大田陵史「地下鉄クエスト」(「たべるのがおそい」)
村上春樹「三つの短い話」(「文學界」)
松浦寿輝「途中の茶店の怪あるいは秋の川辺の葦原になぜいきなり断崖が現出するのか」(「文學界」)
野村喜和夫『骨なしオデュッセイア』(幻戯書房

「図書新聞」の2018年6月23日号に、「〈世界内戦〉下の文芸時評 第四〇回 「天皇」と「アメリカ」の狭間を埋める歴史」が掲載

 「図書新聞」の2018年6月23日号に、「〈世界内戦〉下の文芸時評 第四〇回 「天皇」と「アメリカ」の狭間を埋める歴史」が掲載されました。今回は、「“セクハラ罪”という罪は存在しない」という閣議決定を批判しつつ、以下の作品を取り上げています。

・倉橋耕平『歴史修正主義サブカルチャー 90年代保守言説のメディア文化』(青弓社
白井聡『国体論 菊と星条旗』(集英社新書
・佐藤泉『一九五〇年代、批評の政治学』(中央公論新社
ブレイディみかこ×松尾匡×北田暁大『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』(亜紀書房
・浅木原忍+大森滋樹/葉音+谷口文威+柄刀一+松本寛大/司会・諸岡卓真「座談会 ミステリと評論の間」(『日本探偵小説を知る 一五〇年の愉楽』、北海道大学出版会)
池田純一「映画から動画へ――「スター・ウォーズ」の40年史」(「新潮」)
古川日出男『ミライミライ』(新潮社)
古川日出男×佐々木敦「エクストリームなミライへ」(「新潮」二〇一八年四月号)
高山羽根子「オブジェクタム」(「小説トリッパー」)
・小暮夕紀子「タイガー理髪店心中」(林芙美子文学賞受賞作、「小説トリッパー」)
・絹谷朱美「光路」(林芙美子文学賞佳作、「小説トリッパー」)
・佐藤述人「ツキヒツジの夜になる」(三田文學新人賞受賞作)
桜井晴也「くだけちるかもしれないと思った音」(「三田文學」)
・春見朔子「転写か翻訳」(「すばる」)
谷崎由依「藁の王」(「新潮」)
谷崎由依「遠の眠りの」(「すばる」)
・勝又泰洋「ラウィーニアの物語は終わらない――『ラウィーニア』と『アエネーイス』をめぐる試論」(「ユリイカ 特集 アーシュラ・K・ル=グウィンの世界――1929-2018」)

 その他、マイクル・スタックポールの『スター・ウォーズ』小説、フレイザー金枝篇』初版などについても触れました。

「図書新聞」2018年5月19日号に「〈世界内戦〉下の文芸時評 第三九回 収容所のエクリチュールという「路地」」が掲載

 「図書新聞」2018年5月19日号に「〈世界内戦〉下の文芸時評 第三九回 収容所のエクリチュールという「路地」」が掲載されます。今回は、東日本入国管理センターというインド人の自死を招いた「収容所」、ヴェトナム人技能実習生に除染作業をさせたことを批判、以下の作品を論じています。

・馬場彩香「「お金」と生きる――あるベトナム人技能実習生の語りから――」(「語りの地平 ライフストーリー研究」)
・新井かおり「アイヌ近現代史の諸断層――貝沢正の未発表原稿に見る幼年期の記憶を中心に――」(「語りの地平」)
・駱英詩集『文革記憶――現代民謡』(竹内新訳、思潮社
山本貴光「季評 文態百版」(「文藝」)
ドン・デリーロ「痒み」(都甲幸治訳、「新潮」二〇一八年四月号)
陣野俊史「泥海」(「文藝」)
横田創『落しもの』(書肆汽水域)
・片岡大右「薔薇色をどうするか」への序説――モノクロームの世界のなかの金井美恵子」(「早稲田文学」)

 その他、木村友祐「国際救援センター(八潮)壁の向こうへ」、野田サトルゴールデンカムイ』、小川哲『ゲームの王国』、樺山三英「団地妻B」、J・G・バラード『クラッシュ』、横田創『(世界記録)』、『裸のカフェ』、『埋葬』などにも触れています。

「図書新聞」2018年4月21日号に、私の連載「〈世界内戦〉下の文芸時評 第三八回 「ボヴァリー夫人は私だ」と言うために」」が掲載

 「図書新聞」2018年4月21日号に、私の連載「〈世界内戦〉下の文芸時評 第三八回 「ボヴァリー夫人は私だ」と言うために」」が掲載。今回は政治とネトウヨ、極右メディアの野合による科研費バッシングへのカウンター言説を構築し、ハラスメントと戦う牟田和恵を評価。さらには、以下の作品を取り上げています。

笙野頼子「「フェミニズム」から遠く離れて」(北原みのり責任編集『日本のフェミニズム』、河出書房新社
・市原佐都子「マミトの天使」(「悲劇喜劇」)
樺山三英「団地妻B」(「すばる)
樺山三英団地の文学史」(「層 映像と表現」)

 今回は言及作品数を絞って(読んだ冊数自体は変わりませんが」、あえて議論を掘り下げました。もう、連載も4年目ですからね。
 その他、名前が出てくるのは、クロード・シモンナタリー・サロート、トーマス・ベルンハルト、蓮實重彦『凡庸さについてお話させていただきます』、『「ボヴァリー夫人」』論、フェデリコ・フェリーニ『道化師』、原武史『滝山コミューン1974』、山野浩一『花と機械とゲシタルト』など。
 また、これは同号の別記事ですが、草場純さんによる『日本伝承遊び事典』(黎明書房)の書評「一般的な遊びを通時的に見ることができる」を監修いたしました。草場純さんの遊び観が、よくわかる批評になっています。