長沢哲夫についてのノート

※このエントリに書いた内容は、より整理したうえで、「植民地文化研究」第16号(不二出版)に掲載された、シャマン・ラポガン講演「わが海洋と文学」コメント、という形にてまとめています。そちらをお読みください。

植民地文化研究 第16号―資料と分析 特集:内なる植民地三たび

植民地文化研究 第16号―資料と分析 特集:内なる植民地三たび

 枯れ枝の小さな舟に乗り
 ぼくらは旅をしている
 遠いのど
 近くには二つの眼
 やりすごしてみると
 眠っている地球だ
 ちいさな水の空に囲まれ
 まだ海も生まれていない
 枯れ枝の小さな舟に乗り
 ぼくらは旅をしている


 日本のビートニク詩人。
 長らく沈黙していたが、数年前から見事に復活を果たした。
 現在はトカラ列島の諏訪瀬島にて漁師を営み、自給自足の生活をしながら詩作に励む。
 最初期カウンター・カルチャー運動「部族」の中心人物だったらしい。
 かつては「新宿のランボー」と謳われ、澁澤龍彦と肩を並べ、文芸誌にて活発な執筆活動を続けていたよう。
 そして「部族」旗揚げとともにコミューン活動に没頭したという。
 やがて共同体は瓦解し、時代の熱気が風化していったのだが、それとともに詩人は沈黙を余儀なくされた。

 晴れ上がった朝の市場を
 そぞろ歩く
 海辺
 熱をこめ
 果物をふくらます海辺
 ほどけた帆船をひきずる
 海辺
 街々の色あせた眠りを切りとる
 海辺
 雪の青い闇に吠える
 海辺
 角を曲がって
 手ににじむ秋をすすりながら
 歩道をわたる
 海辺
 歯の間の燃える鏡をかみしめながら
 夜への道をさまよい歩く
 海辺
 時の海辺
 千の額をもつ
 いちじくの女よ
 青いザリガニが
 お前の眼のふちにたたずんでいる
 汚れた絹の食卓に漂う女よ
 河の冷たい手をまちわびる乳房
 沈んだ太陽の
 うす紫色のほら貝を手に
 一秒の死を歩く
 海辺
 五分の死を歩く
 海辺
 やがて
 一年の死を歩く
 海辺

 一応お断りしておくが、私はコミューンに代表される60年代文化について、盲目的な肯定の意識があるわけではない。同じ事をするならば、もっと戦略的に行うべきだったのではないかとも思う時もある。


 しかし、私はいわゆる「団塊ジュニア」よりもさらに一回り下の世代、つまり60年代的なものと完全に断絶されている世代に属しているがゆえに、ビートニクの狂騒を距離をとって眺め、そこから批評性を取り出すことができる。


 だが、以下に引用する詩篇の圧倒的な強度を前にすると、いかなる前置きを除いても、言いようもなく胸打たれることは否定できない。
 この詩に現れる、生き方の偽りなさに惹かれるのだ。
 何かを削ぎ落として生まれた純粋さではなく、純粋さを装った欺瞞でもない。生の清濁をすべて肯定し、そこから生まれた汚物を他人に押しつけず、自分の血と、肉とする。そうした意味での生の発露だ。


 私自身の好みは、どちらかといえば南方よりも「北」にあるのだが、それでも批評めいた言語を差し挟むことがはばかれるほどの迫力のようなものを感じてしまう(強いて言えば、「地球」という部分だけがどうも引っかかるが)。
 とりあえず「部族宣言」を読んで、オルタナティヴを立ち上げる覚悟がどのようなものであるのかを、一度とくと考えてみるべきではないか。


 なお、以前版元の許可をいただき、別なところに掲載させていただいたものから、3篇を転載させていただきました。

 「やがて朝」


 白い海
 まばらな風
 けだるく月がのぼる


 ぽっつり
 闇がたれさがっていて


 あてどない
 切りきざまれた夜に
 あふれてくるカナリヤを
 食べ
 小高い塩の空を
 くぐる
 さまざまな寝床への道
 ひからびた地図の上に
 歌いかけながら
 思い思いの夜のソリをとばす
 こごえた百合の眼で
 こごえた砂の上を


 コンクリートの壁にかこまれ
 とじこもる汗の中で
 やつれた風が
 傷だらけの水の手を
 にぎっている


 ほどけない死の影をたどり
 色とりどりの手
 色とりどりの足
 つづく水をたどり
 とりまく渦をたどり


 歩く息
 歩く骨
 長いコンクリートの壁の
 鳩の巣の空が破れ
 昼の星がまたたく


 白い海
 まばらな風
 けだるく月がのぼる



「つまづく地球」


 しめった耳の
 栗の木に
 茶を飲んで
 秋の笑いの手を
 からませ
 とうもろこしの
 はききよめられた
 空をいく
 無の小石に
 つまづく 地球


 夜店の飾り窓に
 ひきこもった 海辺に
 プルトニウムのりんごがひろがる
 こわれた魚の耳の中を


 声の
 はかりしれない孤独が
 いきすぎる


 捨てられた土の秋に
 かがみこむ
 灰の雨
 よたよたと
 デッキブラシが
 くりぬかれた悲しみを
 走る


 寒くはないか
 こけももの
 うっすらとぬれた
 ガソリンスタンドに
 塩の耳の
 ちょうちょよ
 かじかんだ時間の底に
 エメラルド色の滝が
 ガタピシとひらめいている
 おのずから風化していく街々に向い
 売れ残りの核兵器
 伝書バトをとばしている


 やせた炎が
 三つの目で
 鎌をとぐ
 えじきは
 霧のほと
 紫色に染まった
 地球


 枯枝で
 午前の時間が
 鳴きやむ
 午後
 からっぽのカンガルーがひとつ
 虹色の鷹がひとつ
 舟のへさきに坐った
 鐘の音がひとつ
 常に水をひもどく
 水の音がひとつ
 のきなみ
 赤い山羊をすする
 しめった耳の
 栗の木に
 茶を飲んで

 長沢哲夫のイメージャリーは本当に面白くて、ごくごくシンプルな言葉、手垢のついた文句から、言いようもないイメージを広がらせる。
 それでいて、コンクリートの臭いがしない。イメージの広がりのなかに、生き物の組織が、血が、骨が紛れ込んで、不意に、世界の動脈を垣間見せてくれる気がする。



詩二編
http://www5d.biglobe.ne.jp/~k-megumi/pj12.htm


概説
http://flyingbook.exblog.jp/1682653/


部族宣言
http://www.flying-books.com/buzokusengen.htm


部族の歌(by山尾三省
http://www.flying-books.com/buzokunouta.htm


詩集『ふりつづく砂の夜に』序文(by宮内勝典
http://hotwired.goo.ne.jp/opendiary/miyauchi/


Sprash Words(『つまづく地球』の発売元):
http://members.jcom.home.ne.jp/splashwords/top.htm


Amazon.co.jpで入手可能なものもあるようです。

魚たちの家

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ラームプラサード―母神讃歌 (1982年)

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