杉田敦『リヒター、グールド、ベルンハルト』


 トーマス・ベルンハルトに対する批評は意外なほど少なく、かといって学者の紀要論文は、未訳の資料に対する地道すぎる調査が主体で、スリルを欠く。こうした違和から手に取ったのがこの『リヒター、グールド、ベルンハルト』だ。
 ゲルハルト・リヒターに「あなたの作品を観ていると、ベルンハルトを連想する」という旨を告げたら、思いのほかリヒターがノって来た、という瑣末なエピソードからヒントを得て、著者は、ある種の芸術において普遍的な要素を「粒子」と名付けて抽出し、「音の粒子」、「言葉の粒子」、「絵画の粒子」という形で、ジャンル横断的に、それぞれの芸術の形式を解説する。
 こうした<形>からの批評は、どうしても形式が見えやすい絵画の絵解きが中心となってしまいがちなのだが、イコノロジーにありがちな煩瑣な要素よりも、リヒターに対する骨太で明快な記述が得られたのは収穫か。
 いわゆる蓮実重彦以降の批評の系譜に間違いなく属しているはずのこの論文だが、90年代に蓮実チルドレンの多くが辿ったように、結局は単なる大衆礼賛に落としどころを持っていかず、「粒子」から、語られず風化されがたちな現代芸術の「芸術性」を、改めて再構築しようとする強靭な意志には、厚く共鳴する次第である。


リヒター、グールド、ベルンハルト

リヒター、グールド、ベルンハルト