10月の「ホビージャパンRPGコンベンション」参戦


 10月27日に代々木で開催された「ホビージャパンRPGコンベンション」にて、『ウォーハンマーRPG』のゲームマスターをしてきました。内訳は、『D&D』初心者卓3卓、『D&D』本格卓3卓、『ウォーハンマーRPG』2卓といった感じ。大雨だったことを考えると、妥当な線か。


 シナリオは、かつて"White Dwarf"誌に掲載された「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」の『ウォーハンマーRPG』第2版(現行の版)コンバート版を使用。もっとも、原作はシンプルなシナリオなので、大幅に内容を強化しておいた。


 ちなみに、このタイトルは、ビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の2曲目からの引用ですね。
 「ビリー・シアーズ」ことリンゴ・スターがボーカルをしているという。
 こういうセンスって、ステキだと思う。


 「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」のデザイナーは、『ウォーハンマーRPG』初版のデザインに関わっていたカール・サージェントだが(『クラシックD&D』のモジュールで邦訳もある『B12 ナイツ・ダーク・テラー』のデザイナー)、彼らはきっと若き日に、映画『24アワーズ・パーティ・ピープル』で描かれたような、暑い時代の空気を吸ってきたのだろう。
 そういえば、現行の『ウォーハンマーRPG』の巻末に書かれたデザイナーズ・ノートは、しんみりしていてなかなかいい。『ウォーハンマーRPG』のパンクな美学が端的に集約されている。

 故あって、大学に入ったらゲームはやめるつもりでいた。自分にぴったりのグループを見つけるのは大変だろうし、私はゲーマーを見つけることより、ニューヨークのパンク・シーンに興味を惹かれていた。幸運なことに、私はニューヨーク大で誕生したばかりのゲームクラブに、文字通り足を引っ掛けたのだ。CBGBでパンクのライブを観て、学生寮に帰ってきた時だった。大広間で10人ほどがロールプレイング・ゲームをしていたのだ。
(……)
 デイヴが『ウォーハンマーRPG』と、Enemy Within Campaign(引用者注:邦訳のある「内なる敵」キャンペーン)の初版を持っていたので、試しにやってみることになった。バットとジーンと私がキャラクターを2人ずつ受け持ち、ひと晩中プレイし続けた。1987年12月23日のことだった。日付まで言えるのは、あの時の冒険のキャラクター・シートや、色あせたコピーを錆びたホッチキスで留めた資料を、いまでも持っているからだ。エルフの斥候員のキャラクター・シートの裏には、その日のセッションでの名言が書きとめてある。最初にあるのはこんな書き付けだ――12/23、はじめてのセッション。


 話を戻しましょう。
 今回は、参加プレイヤー・キャラクターは3人でした。進行上いろいろあって、結局こんな形に。


 3人ということでPCは強めに。経験点1500点でやってみた。
 当然、上級キャリアに就くPCも出てくる。内訳は以下のとおり。


 アントニオ・バンデラス:人間のエスタリア剣士→ペテン師。巧みな戦術家。

 ディーター:人間の貴族。社交技能を一通り習得。口が非常に回る。

 アルフレッド:ハーフリングの墓荒らし→屋根飛び泥棒。ティリア産の人喰い猟犬を、尻で倒す猛者。


 いきなり牢屋のなか! というホットスタート。試行錯誤した末、看守をしていた混沌のドワーフ2体を倒す。その後、混沌の嵐(ストーム・オブ・ケイオス)襲来後の混乱した情勢の隙をついて建造されたミュータントの城塞から逃げ出し命からがら近隣の大都市ミドンハイムに到着すると、そこではまたまた厄介ごとに……。といった内容。
 キャンペーン風味を出すため、途中で経験点を与えたが、それによってディーターが貴族から銃騎兵へ昇格できた。


 ラストに登場させた、「金属」の秘術呪文体系を取得しているNPCの中堅魔術師ティコ・ブラーエ(魔力点2)が、4回連続「ティーンチの呪い」を発動(!)させたのは驚きだった。


 とりあえず、総当たり戦に近い形になったものの、ぎりぎりミッション達成といった感じ。その後、打ち上げを含め、参加者と色々歓談したが、非『ウォーハンマーRPG』ゲーマーにも『ドラッケンフェルズ』シリーズがかなり読まれていたようで、なんとなく嬉しくなる。
 しかし、今月の『SFマガジン』にはなぜ『ドラッケンフェルズ』の書評が出てないのでしょうかね。


ウォーハンマーノベル ドラッケンフェルズ (HJ文庫G)

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