夢幻会社


 J.G.バラードの『夢幻会社』を原作とした短編映画を知人に教えてもらった。

 私がバラードを知ったとき(まだ若い頃だ)、旧作は初期の代表作『結晶世界』を除いては軒並み絶版だったし、新作はハードカバーであるため買えなかった。
 同じような境遇にあるため、『夢幻会社』を知らない人もいるかもしれない。そこで、映画の紹介がてら『夢幻会社』の面白さについて少し語ろう。


 『夢幻会社』は、バラードの転回点を指し示す傑作である。
 バラードは、サイバーパンクが示したような、「テクノロジーに取り巻かれた人間」のヴィジョンを、もっとも根源のレベルから追求した作家である。SFが本来有していた存在論的な側面を前面に打ち出した作風により、高度情報化大衆消費社会に付きまとう汚点を抉り出し、ギリシア悲劇のごとき崇高さをもって提示することで、押し付けがましくない形で、現代が抱える病理を指し示した。


 こうしたバラードの創作姿勢は、むろん、モダニズムを引き継いだうえで、メディアと政治、テクノロジーと人間との関係性に着目した真に先鋭的な人々の試みと、共通するところがある。その意味では、『新しい小説のために』を記したアラン・ロブ=グリエ(惜しくも先日、この世を去った)と同様の問題意識をバラードは有している。しかし仮に、ロブ=グリエが筆致と形式によって現代の「悲劇」の崇高化を図ったとしたら、さながらバラードはヴィジョンによってそれを行なったと言うべきだろう。


 そう、バラードはまごうごとなき現代の幻視者である。現代日本でも彼に匹敵するポテンシャルを秘めた作家は、青木淳悟佐藤哲也笙野頼子飛浩隆宮内勝典向井豊昭など、ほんの一握りしかいないだろう。そして、彼ならではの特性、すなわち巧妙に忍び寄り、突如、読者の横っ面を張り倒すような膨大なイメージの奔流を食らわせる。その醍醐味を思う存分読み手に堪能させてくれる作品、それが『夢幻会社』である。


 『夢幻会社』以前の作品、例えば『コンクリート・アイランド』でも『クラッシュ』でもよいが、テクノロジーを主題にした作品群は、どこかカフカ的に読み手を圧殺しようとするところがあった。
 反対に、『結晶世界』や『ヴァーミリオン・サンズ』で描かれる繊細でありながら蠱惑的なイメージは、それ自体は非常に魅力的だが、イメージの世界に読者を安んじさせるということ(つまりは、ファンタジーによる「癒し」)へのアイロニーが筆の端々から(おそらくは意図的に)垣間見える仕様となっていた。


 ところが、『夢幻会社』におけるバラードは、そうした一切のくびきから解き放たれ、まごうことなきパラダイスを描き出すことに成功しているように、私には見える。それゆえ、数あるバラードの作品のなかでも際立った存在感を放っており、『夢幻会社』を経たバラードが、どこに向かおうとするのかを指し示す上で、転回点とも言える作品となっている。


 もっとも『夢幻会社』で描かれるすさまじいイメージを、いわゆる「ニューエイジ的」と捉える人もいるかもしれない。ただ、「ニューエイジ」が安っぽい「癒し」を盛んに強調することに対し、『夢幻会社』には「癒し」などといった生温いレベルでの治療は存在しない。『夢幻会社』の世界では、生命は「無」から創造される。だから、「復活」はあっても「癒し」はない。主体を恢復させるのは「癒し」ではなく、主体に「無」を認識させたうえで与えられる創発的な力である。だから、生命エネルギーの持つ爆発的なエネルギーが作品に投げかけるイメージそのものが強調されるというわけだ。
 それでいて、既存のイメージを集めて夢のなかでシャッフルさせるような、いわゆるシュルレアリスティックな作品群とも異なる。バラードのイメージは、既存のイメージの反復などという生易しいものでもないからだ。
 原初的な自然の力強さ――近代において、「人間」と切り離された意味での、つまりは(悪しき)ロマン派的な「自然」ではない――を、『夢幻会社』のバラードは、真空より産み出させることに成功している。神なき時代の「創造」(=「発生」?)の物語を文字通り、体現しているというわけだ。
 思想としての「ポストモダン」が、完全に状況としての「ポストモダン」に変化し、「ポストモダン」が抱えた問題意識そのものが忘れ去らようとしている昨今、「ポストモダン」につきまとうシニシズムのみが顕在化している。そうした状況を超克するためのヒントとして、いまいちど『夢幻会社』は読み直されるべきなのだろう。ヒーリング本や、ケータイ小説を投げ捨てたうえで。


 さて、1983年、Sam Scogginsによって撮られた"Unlimited Dream Company Film"では、バラード自身の語りと、最小限の技術補正によって表現されたイメージ画像によって、小説とはまた異なる観点から、『夢幻会社』の成立している物語論的な位相が、見るも鮮やかに浮かび上がってくる。もとは16mmで撮影したという映像そのものも、味があっていい。
 23分という時間が短いくらいだ。
 ぜひとも、この面白さを堪能していただきたい。


http://www.ballardian.com/sam-scoggins-unlimited-dream-company


※なお、現在バラードは癌で闘病中とのこと。一刻も早い快復を祈ります。


夢幻会社 (創元SF文庫)

夢幻会社 (創元SF文庫)