ノスタルジア


 この間、連れと、渋谷にタルコフスキーの『ノスタルジア』を観に行ったのでした。

ノスタルジア [DVD]

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 ドイツ・ロマン主義の影響色濃い映画であり、それゆえ胎内回帰的・母性回帰的なイメージで語られることが多い作品です。そのような投げやりな批評であっても必ずしも的外れなものとはならないのがタルコフスキーの厄介なところ。
 しかし、誠実極まりない映像表現を見ると、やはりそれだけではない、という思いが強まったのでした。


 18世紀の詩人ヴァッケンローダーに『芸術を愛する一修道僧の真情の披瀝』というエッセーがあります。

 この著作では、暗い東欧の森で育った詩人が、いかに燦々と太陽の照りしきる地イタリアを渇望したのかが切実に記されるのですが、ゲーテの『イタリア紀行』にも通じる、ドイツに始まり北欧・東欧に至るゲルマン的な土地性に少なからず起因しているであろう「南方(イタリア)への憧憬」が、ほぼ完璧なまでに表現されている映画でもあります。


 クライマックス、世界の痛みを背負った狂人ドメニコの演説と、続く焼身自殺のシーンが圧巻でした。
 この死に様はものすごく苦しそうで、それでいて馬鹿馬鹿しくて、滑稽で、それゆえ「崇高な犠牲」から、ちょっと距離が置かれたものとなっております。


 ちょっとしたずらし、みたいなものがあって、そのずらしが、案外重要なのではないかと思うのです。大げさに言えば、「ゲージュツ」と「人生」との、泥臭いレベルでの架け橋のような何か。アイロニーではないにしても、距離を置いた視点は確かにある。おそろしく過酷な旅路、胎内を追い出され、放浪を余儀なくされたたことへの哀しみ。
 当人にとっては切実な問題であるのは言うまでもありませんが、見る側にとっては、「胎内」から仮に出られたとしても、「胎内に こだわっている以上、結局外へは出ていないんじゃないの」という意地悪な見方も、できてしまう。
 ただ、『ノルタルジア』という映画には、そのあたりへの目配せもちゃんと含まれているように思えたところが、発見だったのでした。