『社会は存在しない』(南雲堂)に青木淳悟論を書きました。


 7月に発売が予定されている、限界小説研究会編『社会は存在しない――セカイ系文化論』(南雲堂)という評論のアンソロジー本に、


青木淳悟――ネオリベ時代の新しい小説(ヌーヴォー・ロマン)」


を寄稿させていただきました。原稿用紙換算で65枚程度の、本格的な文芸評論になります。
 トマス・ピンチョンジョルジュ・ペレックの再来と呼ばれる特異な現代作家・青木淳悟について、あたう限り執拗かつ詳細に考察をしています。青木淳悟が商業媒体においてこれだけの分量でまとまって論じられる機会は、私の知る限りなかったはずです。それと同時に、私がこれまで陽の目を見せることができずにいる諸論文にて触れてきた主題を、別の角度から再検討した内容ともなっています。

四十日と四十夜のメルヘン

四十日と四十夜のメルヘン

新潮 2008年 09月号 [雑誌]

新潮 2008年 09月号 [雑誌]

 評論の中身をひとことで説明すれば「“失われた10年”に代表される時代の閉塞感=空気を討つためのスペキュレーションを有した抵抗文学として、青木淳悟の小説を読み解く」 ということになります。
 それは言い換えれば、「現代において、青木淳悟の小説のようなわけのわからないもの、ひいては文学そのものについて考えることについての価値」を改めて問い直したい、ということにも繋がります。
 イデオロギーだけを読み込んでつぎはぎをしたり、声高に人生論を叫ぶようなことは絶対にしたくなかったので、基本的な姿勢としてクローズリーディングを心がけました。密度と強度には自信があります。
 どうぞご高覧を賜れましたら幸いです。


 なお、本稿を収録いただいた論文集『社会は存在しない――セカイ系文化論』は、その名の通り「セカイ系」についての評論集となります。昨年、限界小説研究会が出した『探偵小説のクリティカル・ターン』の事実上の続編です。

探偵小説のクリティカル・ターン

探偵小説のクリティカル・ターン

 ただ、「セカイ系」についての通念から意地の悪いことを言う向きのためにあらかじめ釘を刺しておきますが、私は本稿において、いわゆる「おたく論壇」という狭い世界を意識したつもりはまったくありません(そもそも青木淳悟をおたく論壇と関係がある、とする例を私は見たことがありません)。
 むしろ「文学」という言葉がかつて示していたような、長期的かつ広範囲に渡るパースペクティヴを有した、強度ある言説を志向しました。そのためには、もちろん私自身のフィールドであるところの、RPGやSFの思考法もふんだんに盛り込んであります。いや言ってしまえば、本稿で私がやりたかったことは、広い意味でのSF評論なのではないかと自認しています。
 先に出た『アゲインスト・ジェノサイド』にも批評意識はかなり込められていますが、それとはまた異なるやり方で、本稿は批評性を提示しているつもりです。


 そもそも「セカイ系」なる言葉が体現している時代の病理、閉塞感のようなものに対し、私のような80年代前半生まれの人間はどうしようもなく敏感たらざるをえないところがあります。好悪の情で言えば、私は「セカイ系」が嫌いです。積極的に話題にしたいとも思わない。しかし、それだけでは片付けられないものがある。仮に同時代性から超俗的な立ち位置を確保したいと願っても、どこかに同時代性に規定されている部分が残るのは確かなのです。
 なので私は主体の在り方を考えるに、青木淳悟のような「セカイ系」から最もかけ離れた作家を通し、90年代以降の想像力と表現、それらを規定する空気そのものを思考し、可能ならば抵抗しようと足掻くことにしました。ポレミークな論文ではありますが、特定の個人や企業などを攻撃しようという思いはなく、むしろその背後に根付く時代精神について考えることを志向しました。


 そのため、論文集に収録された他の論文とは、出発点は似たものでありながらも、アプローチはかなり異なっているものと思います。次第に単純かつ素朴になりまさる言説空間に対し、違和感を抱き、孤独を感じている方にこそ読んでいただきたい。フリードリヒ・シラーの「素朴文学と情感文学について」のような澄明な言説に憧れながらも、圧倒的な断絶を感じている方にこそ読んでいただきたいと思って書きました(シラーの理想とする古代ギリシア的な素朴文学と、現代の素朴さとはまるで違う!)。


 むろん、他の論考も、優れた書き手が情熱をもって執筆に臨んでおり、実にバラエティ豊かな仕上がりとなっています。よい意味で、派閥意識のようなものが出ていない論文集になっているのではないでしょうか。
 いや、そもそも限界小説研究会という名称は、鶴見俊輔の『限界芸術論』から来ており、何らかの党派性を示すものではなかったりします。
 ちなみにちょっとしたこぼれ話をしますと、今回お声をかけていただいた際、「僕は『セカイ系』について書くのであれば、批判的にしか立論できないのですが、それでもよいのでしょうか?」と馬鹿正直に問いました(笑)  
 普通ならば即座に却下されるところですが、なんとOKをもらったのです。研究会のイデオロギー的な偏向のなさに、私自身、驚きました。
 こうした場所で思考する契機と、書く機会を与えていただき本当に感謝しております。


 ぜひとも『社会は存在しない』をお読みになって下さい!

『社会は存在しない――セカイ系文化論』


限界小説研究会編 四六判並製 460ページ 定価2650円(本体2500円) 発売・南雲堂


笠井潔小森健太朗/飯田一史/岡和田晃小林宏
佐藤心蔓葉信博/長谷川壌/藤田直哉/渡邉大輔


ゼロ年代批評の総決算! いま、新たな「セカイ系」の時代へ。


セカイ系をめぐる諸問題について、ゼロ年代が終わりをつげようとするいま、時代的な意義と批評的な射程を捉え返し、広範かつ多様に展望する。
また、セカイ系的な「リアル」を最も身近に体感してきた二〇代から三〇代の若手論者を中心とした初めての本格的なセカイ系評論集。


《目次》


序文
渡邉大輔 「セカイ状」化する世界に向けて


1、社会とメディア――ネオリベラリズムサイバースペース
笠井潔 セカイ系と例外状態
飯田一史 セカイ系シリコンバレー精神――ポスト・サイバーパンク・エイジの諸相


2、サブカルチャー――ライトノベル・アニメ・コミック
佐藤心 『イリヤの空』、崇高をめぐって
小森健太朗 〈セカイ系〉作品の進化と頽落――「最終兵器彼女」、「灼眼のシャナ」、「エルフェンリート
長谷川壌 セカイ系ライトノベルにおける恋愛構造論


3、文学――ミステリ・純文学
小森健太朗 モナドロギーからみた舞城王太郎
蔓葉信博 虚空海鎮――『虚無への供物』論
藤田直哉 セカイ系の終わりなき終わらなさ――佐藤友哉『世界の終わりの終わり』前後について
岡和田晃 青木淳悟――ネオリベ時代の新しい小説(ヌーヴォー・ロマン


4、表象と身体――映画・演劇
渡邉大輔 セカイへの信頼を取り戻すこと――ゼロ年代映画史試論
小林宏彰 「セカイ」の全体性のうちで踊る方法――快快(faifai)論

社会は存在しない

社会は存在しない