はじめに

※蔵原大さんの遺稿追悼文集をこちらで無償頒布中です。

・自己紹介 
・Twilog
・訂正記事

単著ほか最近の仕事

※編著『現代北海道文学論』が発売になりました。『北の想像力』の姉妹編です。
※翻訳「畏怖すべきタイタンのタロット」、「魔術師ダークスモークかく語りき」に、無敵の万太郎とシックス・パックの珍道中の新作2編が入っています。
※翻訳「怪奇の国のアリス」、「怪奇の国!」、創作「天空の国のアリス」、コミック原案「はじめての怪奇の国のアリス」が収録されています。
※翻訳「コッロールの恐怖」、「ヴァンパイアの地下堂」が収録されています。
※最新の評論『反ヘイト・反新自由主義の批評精神』が出ました。2008年から18年まで書いてきた、「純文学」とポストコロニアルなテーマを精選した批評集です。
※『ウォーハンマーRPG ルールブック』が発売されました。第4版でオールド・ワールドの冒険を堪能しましょう。岡和田晃は翻訳チームに参加しています。
※論考「E・F・ベンスン、拡散と転覆のオブセッション――「塔の中の部屋」と「アムワース夫人」を中心に」を寄稿しています。
※論考「津島佑子 作家の芯にある「夢」で差別という「陵辱」を退ける」、「コラム 震災と文学」を寄稿しています。
※『エクリプス・フェイズ』日本語版ルールブックが、発売となりました。岡和田晃は翻訳チームに参加しています。日本語版の公式サイトで、サマリー形式の簡易ルール&シナリオ「ヘリオンズ・エッグ」、サンプルキャラクター等を無料でダウンロードできます
※『アゲインスト・ジェノサイド』は初の単著、自信作です。ロールプレイングゲームの可能性を引き出すべくつとめました。
※『「世界内戦」とわずかな希望』は、第二単著です(日本図書館協会選定図書になりました)。詳しくはこちらのエントリをご覧ください。また、収録記事「二十一世紀の実存」に脱落がありますが、版元のサイトで完全版をPDF形式でダウンロードできます。
※『向井豊昭の闘争』は第三単著。未來社のPR誌「未来」の連載を大幅に加筆改稿したもので、書き下ろしの第三章、詳細な作品リストもついています。帯は笙野頼子さん。
※『向井豊昭傑作集』は、編集、解説、年譜作成を担当しました(こちらも日本図書館協会選定図書になりました)。
※『北の想像力』は、統括と編集を担当いたしました。特設サイトはこちら! 日本SF大賞最終候補&星雲賞参考候補となりました。
アイヌ現代思想史研究者のマーク・ウィンチェスターさんとの共編で、レイシズムヘイトスピーチ歴史修正主義に反対する本を作りました。『アイヌ民族否定論に抗する』です。全国学図書館協議会選定図書となりました。
※『「世界内戦」とわずかな希望』は、第四単著です。2013年から2017年に書いた批評を集成しています。
※J・ピーターズ『ベア・カルトの地下墓地』レベル1を全訳し、レベル2を杉本=ヨハネさんと共同制作しました。
※『ブラマタリの供物』にて設定協力と解説を担当いたしました。
※『こころ揺らす』に岡和田晃のインタビューが掲載されています。
※『トンネルズ&トロールズ完全版BOOK』に『アンクル・アグリーの地下迷宮』が同梱されています。
※「ナイトランド・クォータリー」Vol.16から編集に参画し、Vol.17から編集長になりました。
※ジェームズ・ウィルソン「傭兵剣士」「青蛙亭ふたたび」の翻訳チェック・多人数シナリオ寄稿、続編の「無敵の万太郎とシックス・パックの珍道中」と「〈黒のモンゴ―〉の塔ふたたび」が掲載されています。心意気としては第六単著のつもりです。
※限定部数のみ刊行した第一詩集が、2019年度の茨城文学賞を受けるなど望外の好評を得たため、増刷し商業流通することになりました。
※『新・日本現代詩文庫 清水博司詩集』の解説を書きました。
※『エクリプス・フェイズ サンワード』の翻訳に参加しました。
※『ウォーハンマーRPG スターターセット』の翻訳に参加しました。
※編著『再着装(リスリーヴ)の記憶 〈エクリプス・フェイズ〉アンソロジー』が刊行されました。
※編著『いかに終わるか 山野浩一発掘小説集』が刊行されました。

献本について

 このブログやTwitterにて、アトランダムに献本いただいた作品を紹介しています(原則として商業媒体の新作。すべてを紹介できているわけではありません)。文芸時評をやっている関係上、文芸誌の献本については原則、ウェブログでの紹介はいたしません。時評や書評に間に合った場合、そちらに替えることもあります。

『広島・長崎・沖縄からの永遠からの永遠平和詩歌集』(コールサック社)の合同出版記念会で朗読とミニ講義

出版記念会の類には原則として参加をお断りしているのですが、例外的に『広島・長崎・沖縄からの永遠からの永遠平和詩歌集』(コールサック社)の合同出版記念会にて、拙詩「病院に爆弾を落とすな!」を朗読、簡単なスピーチをしました。ソマイア・ラミシュとマフムード・ダルウィーシュを引き、「アウシュヴィッツの後に詩を書くのは野蛮だ」というアドルノのテーゼへの対峙の仕方が変わってきている、というミニ講義をしました。

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TH叢書100号記念イベントで浅尾典彦さんと対談

【緊急告知!!】
「夢人塔(むじんとう)」代表の浅尾典彦(あさお・のりひこ)さんと私で、12月15日にトークショーを行います。

TH叢書100号記念イベント
「THaNK YOU TH no.100」◉
スペシャル・イベント・デイ2 百花斉放にて、
トークセッション
幻想文学×映画×ゲーム 今語るクトゥルフを日本で物語るということ」
NLQ常連寄稿者で小説家の浅尾典彦とNLQ編集長、岡和田晃による
映画「龍宮之使」プレトーク
出演:浅尾典彦(夢人塔)岡和田晃(NLQ編集長)

 

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◎映画上映
Necronomicon: evocative magic「龍宮之使」(107分) 
(英語字幕入完全版・R15+相当)(2019年/107分)
幻想怪奇譚金字塔、H.P.ラヴクラフトの「クトゥルー」文学から発想し、
独自の解釈と世界観を加えて描いた日本初の本格「クトゥルー」映画

※ほかにも豪華なゲストによるイベントが盛りだくさんです。

12月15日(日) 13:00〜19:00
高田馬場ラビネスト
新宿区西早稲田3丁目27−4 第一キャラット河俣 B1F

チケット予約・公開情報は以下
https://atelierthird.themedia.jp/posts/55867740
・チケット予約はpieteを使用。
 予約者には、予約特典缶バッチがつきます。(当日入場時手渡しです)

「ナイトランド・クォータリー」公開編集会議

本日2024年12月11日(水)17:45〜21:00 
「ナイトランド・クォータリー」公開編集会議
岡和田晃、鈴木一也 待兼音二郎、深泰強、小林正親、吉川悠、浅尾典彦、山下昇平、健部伸明、徳岡正肇 橋本純、壱岐津礼、西谷史ほか

――こちらのイベントが、直前まで展示をしている高田馬場ラビネストで開催されます。Zoom参加も可能。
https://atelierthird.themedia.jp/posts/55867740
どちらのチケットも、このリンクから購入可能です。
本誌の現在、そして未来を探っていきますが、気軽なイベントなので、是非ご参加ください。

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12月1日の「SF乱学講座」で、「山野浩一『レヴォリューション+1』を講読する」を開催

SFマガジン」2024年12月号でも告知が出ていますが、SF乱学講座(どなたでも参加できる公開講座、予約不要)で、、山野浩一レヴォリューション+1』の発売記念イベント第2弾が開催されます。ふるってお越しください。

 

SF乱学講座2024年12月の予定
タイトル:
山野浩一レヴォリューション+1』を講読する

講師の紹介:
岡和田晃 氏(文芸評論家・作家)

内容
山野浩一レヴォリューション+1』(岡和田晃編、小鳥遊書房、2024)の収録作を講読し、編者というよりも批評家的な視座をもって、歴史的・思想的な背景を解説していきます。
講師が『SF評論入門』(共著、小鳥遊書房、2024)への寄稿で論じた小松左京的な「未来学」批判から、日本近代文学大事典デジタル版に寄せた「SF」の項目から見る文学史・SF史的な視座をも参照しますが、関連文献を未読でも差し支えありません。 。

開催日時:
2024年12月1日(日) 18:15〜21:00
※21時は受講された方が部屋を出るまでの時間となります。講義後の質疑応答や開催場所である高井戸地域区民センターより借りた資材(プロジェクター/スクリーンなど)が有った場合の片付けの時間を含めた終了が21時となります。

開催場所:
高井戸区民センター3階(京王井の頭線「高井戸」駅下車)
※開催される部屋の番号は当日に高井戸区民センター3階に掲示されます。

参加費
1000円

 

 

2024年度の日本近代文学会秋季大会、10月27日の回にて発表「「アイヌ文学」と「給与地」闘争」を行います。

 2024年10月26~27日に、広島大学東広島キャンパスで行われる2024年度の日本近代文学会秋季大会、10月27日の回にて、第3会場・10:30より、岡和田晃は研究発表「「アイヌ文学」と「給与地」闘争――「階級的組織化」をめぐる向井豊昭・石井清治・原田了介の視点から」を行います。

 発表資料はこちらからダウンロードできます。

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【要旨】
 本発表では、アイヌ民族と和人の関係史的な視点を採用することで、北海道文学史・日本近代文学史と、アイヌ民族の活動史・労働運動史が交錯する地平に生じた死角を逆照射することを目指す。「アイヌ文学」の枠組みを拡張させつつ、歴史的な反省の視座を打ち出すことで、脱政治化させることなく、パターナリズムの弊害を乗り越えようと試みる。
 この際に着目するのが、第二次世界大戦後間もない時代からの、「旧土人給与地」をめぐるアイヌの闘争における連帯のあり方だ。1950年代後半からの観光ブーム期、北海道にはヨーロッパ的な「異郷」のイメージが投影され、文学においてもアイヌはほぼ関心の埒外にあった。アイヌは「語り」の主体性を剥奪され、社会活動は停滞状況にあったとみなされている。
 この時代、国が地方改善整備事業の応用としてのアイヌ政策を推進していた状況下において、貝沢正(1912~1992)らアイヌ民族は、むしろ積極的に「被差別部落民」とコミニュケーションし、突破をはかった。架け橋となったのは北海道で勤医協・民医連運動に関わった石井清治(1928~95)で、先行世代の浦河町議会議員・原田了介(1906~81)とともに大狩部旧土人給与地返還闘争を戦った経験を有していた。彼らは日本共産党員でもあったが、同党が綱領にアイヌ政策を盛り込んだのは1972年であり、党中央からほぼ関心を向けられないまま闘争を継続せざるをえなかった。
 本発表では、彼らの回想的記述の文脈を論じるとともに、石井が勤務した厚賀診療所――武田泰淳森と湖のまつり』のモデルのひとつとも言われる――がどのように表象されてきたかを手がかりにもする。六全協以降の共産党アイヌ、教育制度をめぐる複雑な事情を同時代に小説化した向井豊昭(1933~2008)の「チカパシ祭り」も参照することで、彼らの目指した「階級的組織化」の実相を探り、レイシャル・キャピタリズムの制度的固着を食い止める批評的な可能性を模索する。

 

【要旨補足】
 向井豊昭・石井清治・原田了介の視点を統合させることで、石井らの影響を強く受けた、福澤稔(筆名ひだかたかし、1943~?)のテクスト「あいぬ病院記」をも参照する。

 

 会報141号でもご紹介いただきました。

 

 

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大杉重男氏への御礼

 大杉重男氏に、再応答をいただいていた。私に余裕がなく、確認と応答が遅くなり申し訳ないが、論点を改めて整理いただいたので、それに対して簡単ながらコメントしておきたい。

 まず、拙稿を介し、武井茂穂のような――遠地輝武の近くにいた詩人たちも多くは物故しているため、まるで回想されなくなっている――書き手の意義をご理解いただいただけでも、拙稿を書いた意義はあろうというものだ。

 もろもろ貴重な視点をいただいているが、まず、「武井と大江の違いは、権力の弾圧(戦後の日本社会において少なくとも言論レヴェルでは戦前とは比較にならない)に屈したかどうかではなく、原発に対する当事者性の有無」という点は、原発に対する当事者性は、むしろ誰にでもあるのではないかと思う。脱原発に「東アジア同時革命」が必要だというのなら、なおさらではなかろうか。そういう立場から、むしろ大江こそ(原発プロパガンダを担ったという意味で)当事者であったのではないかと思う。

 もちろん、大江には武井がそうであったような、〈核〉をめぐって生活が侵襲されるという喫緊の危惧はなかっただろう。大江の甘さはこの点にある、ということならば同意したい。つまり、地方が中央のために収奪される構造に対し、「地べた」から見返す眼差しが不十分で、だからこそ、本稿の結末は大江が見落としたものを武井が拾っていたことを指摘した。

 ちなみに「地べた」の比喩は、鎌田哲哉由来ではなく、向井豊昭のエッセイ「思想は地べたから」(「作文と教育」1968年4月号)から引いているもの。私は鎌田のテクストは大半に目を通しており、「知里真志保の闘争」のオマージュを自著に用いたこともあるが、面識はないし、やりとりもない。「重力」ブックレットを公式サイトの通販で買ったとき、対応してもらったくらいだろうか。

 この点、杉田俊介大澤信亮などと一緒くたにしないでいただければと思う。杉田は「ファイナルファンタジーⅠ」、橋川文三魯迅……。どんな対象を論じても、手つきが流行りのタームにかまけ、基礎的なリサーチすら怠り、議論がしばしば「日本」の内に閉じており、何ら尊敬できない。大澤は、大塚英志『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』(角川oneテーマ21、2005)に共著者として名を連ねているものの、同書で転回される謬説たる小熊秀雄転向論(「フラジャイル」12号の拙稿「現代北海道文学研究(2)」等に詳述)に対して、私の知る限り何もコメントしていない。こうした連中と十把一絡げにされるのはたまったものではない。両氏には個人的な恨みなどはないが、大杉氏への応答は、文壇ゴシップが大好きな癖に岡和田晃と川越宗一の区別もつかない野次馬に把捉されるので、ここではっきりと断っておく。

 「共産党への弾圧」と「「共産主義」への弾圧」については、私は大杉氏が特に区別することなく「ザツ」に扱っていると思ったからそうまとめたが、今回いただいた説明で、大杉氏の思考の背景がよくわかった。そのうえで、「岡和田は民主主義を何だと考えているのか」という問いは、私も大杉氏と同じく簡単には答えられるものではないと思うが、そこに「百の歴史的事実が羅列されてもすべての議論は雲散霧消する」というのは、さすがに言い過ぎではないか。「百の歴史的事実」という言い方は、いかにも軽い。

 つまり、原理と歴史的事実を対比させ、前者に過剰な重きを置いているように思える。私は詩的なレトリックというよりも、「周縁」を概念ではなく、もう少し実態論的に見直す必要性があるのではと言いたかった。

 とりわけ私が扱ってきたような「周縁」においては、それこそアガンベンの言うような「剥き出しの生」が可視化され、単純な支配-非支配の関係が剥き出しになる。大杉氏が言うように、「「民主主義」と「民主主義」そのものがファシズムスターリニズムの別形態」と思わせるような転倒も頻繁に起きる。

 この点、あくまでも一例であるあが、大杉氏も会員である2024年度の日本近代文学秋季大会での発表資料に詳しくまとめている。読み上げの報告にする予定で、論としては一定のまとまりがあるものになっている。同会のサイトから参照できるので、ご一読いただければと興味を持っていただけるかもしれない。

 最後、大杉氏の詩的を受け、「中野さん自身がモデルですが」という発言が削除されておらず、原文ではそのままだというのは、私の校正漏れが残ってしまっていた。この点を「世界」2023年7月号のp.266 上段12行目を、以下のように訂正しておきたい。

 

× 実のところ本誌二〇一二年九月号のスピーチ採録では、「中野さん自身がモデルですが」という発言は削除されている。さらには大江が中野を「私たちの父親の世代と私たちの世代でもっとも大きい作家でもっとも優れた人間」と、最大級の賛辞をもって紹介した箇所も落とされた。「ザツ」な褒め方だからだろうが、レトリック抜きの素朴な本音が漏れたとも解釈できる。

 

◯ 実のところ本誌二〇一二年九月号のスピーチ採録では、大江が中野を「私たちの父親の世代と私たちの世代でもっとも大きい作家でもっとも優れた人間」と、最大級の賛辞をもって紹介した箇所は落とされている。「ザツ」な褒め方だからだろうが、レトリック抜きの素朴な本音が漏れたとも解釈できる

 

 どの観点から見るかという違いはあれども、私としては、根本の問題意識は、大杉氏とそうズレているわけではないことがわかったのが収穫だった。氏の粘り強い対応と、生産的な論点、間違いの指摘までをもいただいたことに改めて感謝したい。

 

追伸:大杉氏のハイドン評が魅力的だというのは、別段リップサービスじゃなくて、本心である。苦笑や揶揄する向きがいるというのには驚いた。そういった輩とは別種の読者を獲得するためにも、まとまった本として提示されてはいかがだろうか。