大杉重男氏への応答
大杉重男氏より、「世界」2023年7月号に寄せた拙稿「「侮辱」の感覚を手放さない対位法的な詩学――大江健三郎『晩年様式集』」に対する批判的な視座を含んだ応答をいただいていた(批評の練習帳「「共産主義」と「民主主義」」)。
気づくのが遅れたため、反応が遅延することとなって恐縮だが、拙稿を取り上げていただいたことにまずは感謝する。大杉氏からいただいた論点につき、簡単ながら応答を試みたい。
大杉氏による批判は2点に集約される。
1:中野重治の「転向」は権力によって強制されたものであるが、大江の原発に対する態度変更は、原発の危険を自然科学的知によって看取したものであるため、「転向」と一緒にできない。
2:中野重治の「春さきの風」の背景にある1928年3月15日の大弾圧を岡和田は「民主主義への弾圧」と書いているが、それは正確ではなく、「共産党への弾圧」と書くべきではないか。
1について、大杉氏は、「原発を肯定するかどうかは、本来はそれが客観的に危険かどうかという自然科学的知の問題」と述べているが、そもそもそうした「自然科学的知」に内在する政治性の軽視こそを、私はこれまでの自分の批評において、大きく問題視してきた。
ゆえに、大杉氏のあまりに素朴な原発観にはまったく同意できない。こうした基礎的なレベルの指摘をしなければならないのは遺憾ですらあるが、拙稿で引いた武井茂穂の『東海村海岸』を読んでみてほしい(国会図書館デジタルで読める)。大杉氏がハイドンを論じる際はきめ細やかで見事なのに、こと文学に関してだと、図式に拘泥し、細部の手触りや共感性が喪失するのは不思議でならない。
2については、1928・3・15に代表される大弾圧は、狭義には共産党員の弾圧であるが、もとより治安維持法による弾圧というものは、当局が「共産党員」とみなした者らだけではなく、天皇制ファシズムに従わない(とみなされた)者らを十把一絡げに検挙したものである。
例えばアイヌ民族のなかには、「日本人」への同化志向の持ち主であったとしても、アイヌというだけで当局に危険分子だとマークされていた事例があり、実際に私は資料も持っている。実際の検挙に伴う把握もなしに、天皇制ファシズムを「民主主義」と等号では結ぶのは言葉遊びにすぎない。
私がこれを「民主主義の弾圧」と書いたのは、大杉氏が勘ぐるような”民主集中制の逆説的擁護”のためではない。2012年7月16日の「さようなら原発 一〇万人集会」において、大江が「春さきの風」を引いたのは、1928・3・15を「民主主義の弾圧」だとみなし、2012年の状況に擬えたからで、大江の意図を汲んだ話である。
また、私はプロレタリア詩も書いており、「現代詩手帖」2021年2月号の「宿便」では、獄死を余儀なくされたプロレタリア詩人である今野大力や今村恒夫について詠った。彼らが共産党員だから党派的に肩入れをしているのではまったくなく――そもそも私の編著『向井豊昭傑作集 飛ぶくしゃみ』は、共産党(作中では「K党」)をやめる話から始まる――彼らの置かれた境遇を、まさに現状の似せ絵だとみなしてのことである。そのうえで、今野や今村らを使い捨てる「民主集中制」的なものへの批判も盛り込んでいる。
拙稿の裏テーマは、中野重治に対する大江健三郎の距離の取り方だ。拙稿において、「核の平和利用」に賛成していた頃の大江健三郎のエッセイ『厳粛な綱渡り』について触れたが、このエッセイで大江は、新日本文学会を退会したことについて言及している。当時の新日本文学会は、日本共産党とも近く、もちろん中野重治の大きな影響下にあった。
にもかかわらず、大江は『「最後の小説」』で江藤淳の中野重治論を批判し、3・11に象徴される状況において、中野へのリスペクトを語るのである。
私はこうした中野と新日本文学会、日本共産党の関わりについて関心がある。それは文学における「政治」のあり方を問う問題だからだ。一部は「日本近代文学」109に書いた拙稿「アイヌへの加害の歴史、強制された共生―向井豊昭「御料牧場」を対位法的に読む」でも書いた。「文学」と「共産党」についての関係は、より本格的に踏み込んだ論も発表するつもりである。しかしそれは原理論ではなく、あくまでも「周縁」から見た民衆史的視座によるものだ。
最近は「朝日ジャーナル」1976年10月1日号に掲載された中野重治と宮内豊との対談「日本共産党の歴史について思う 非合法時代から合法時代にかけて」を読んでいた。中野自身が、自らを除名した共産党や、「転向」について晩年、どう考えていたかを知るためである。
こうした論点であれば、引き続き議論をしてみたい気もするが、大杉氏の原発観は当事者意識や危機意識の欠落としか思えないし、「民主集中制」という原理にこだわることを否定はしないまでも、拙稿に対する批判のポイントがずれている。
大杉氏の評は、現在の状況に対して安全圏から高みの見物を決め込む姿勢にほかならず、地べたから見上げる根底的な説得力を欠いている。