原題は"No Country For Old Men"。かのジョエル/イーサン・コーエン兄弟の最新作。私にとってはコーエン兄弟の映画であることが重要なので、オスカー4冠は、あまり意味がない。本当は某所の映画オフで観ようかと思っていたが、機を逸してしまっていたので、彼女と連れ立って観に行ってきた。
実に挑戦的なタイトル。普通ならばタイトル負けしないか心配で仕方ないところだが、そこはコーエン兄弟なので安心していられる。
冒頭より繰り広げられる荒涼としたアメリカ南部の光景。端から興奮し、批評的な回路を発動させそうになってしまう。途中、200万ドルを手にした男ルウェリン・モスが倒れてから微妙にトーンが変わり、トミー・リー・ジョーンズ演じる保安官の語る「老いの諦念」と、その先に待つ昏い焔が際立つ。多くの批評家を絶賛させたポイントはやはり、これらの「思想」的な部分にほかならないのだろう。
確かに、搾り出すように語られるこの「老いの諦念」に説得力を与えるには、追われる男と追う男の関係性が、第三の軸によって打ち消される場面や、殺人鬼シガーのコイントスが拒否される場面を、「虚しさ」として取り入れなければならなかった。
こうした「虚しさ」の裏づけとして、1980年という舞台設定や、1966年と68年、ヴェトナム従軍経験のあるルウェリン・モスの背景設定が密やかに差し込まれるとともに、山場にはタイトルへ呼応するかのように「国境」が設置されている。
これらの「思想」的な要素(アイテム?)の配置が非常に巧みでありながら、仮に歴史(あるいは映画史?)に何ら予備知識のない者が作品に触れたとしても、何らかの「わだかまり」(とっかかり?)を観る者へ残すという意味で、アイテムは単なるファッションではなく、あくまで映画の一部として機能的に働いているように思える。明らかにこの映画は、同時代を語ろうとしているのだ。
しかし何より感じ入ったのが、この映画が「凡庸であること」を積極的に長所として取り入れていることである。それは、コーエン兄弟のあらゆる監督作品にも通ずるところであるが(個人的には、『オー・ブラザー!』が好きだ)、音響効果に全く頼らず、骨太としか形容のできないカメラワークによって構成された前半部の追跡劇は、いままでのコーエン兄弟の作品よりもコーエン兄弟らしく、かつ面白い。いやあ、屠殺用空気圧縮ボンベが武器というのは非常に新鮮だね! 『d20モダン』でデータ化してほしいね!
こうした「凡庸さ」を「面白さ」として昇華させているテクニックは、コーエン兄弟の面目躍如たるところだろう。
ゆえにひょっとすると、『ノーカントリー』は、「凡庸さ」の極みとも言うべきマカロニ・ウェスタンに飽くなき敬慕を捧げたクリント・イーストウッドの『許されざる者』あたりと、併わせて観るべき映画なのかもしれない。
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