『ユナイテッド93』を観る。


 宇野邦一の『他者論序説』を読んでいるが、全編を覆う、張り詰めた、極めて不穏な空気に触れ、驚いている。
 81年、『意味の果てへの旅』でデビュー以降、「境界」について、絶えず意識を巡らせてきた宇野氏だが、『他者論序説』は図抜けている。ともすると「境界」なる枠組みそのものを解体させかねない、重圧のようなものが行間に溢れており、その狭間で懸命に思考を続けているからだ。
 『他者論序説』の発行は2000年。そこに充溢する思考を、翌年の「あの事件」に無関係だとすることは、おそらく不可能だろう。

他者論序説 (Le livre de luciole (35))

他者論序説 (Le livre de luciole (35))


 「あの事件」について、少し考える覚悟ができたので、『ユナイテッド93』を観ることにした。
 2001年9月11日に起きたアメリ同時多発テロのうち、唯一攻撃目標に達しなかった旅客機内の模様を、遺族からの証言と、残された交信記録などをもとに再現したドキュメンタリータッチの映画。


 政治色を抜き、あくまで乗客側とテロリスト側を、共に〈人間〉として描く。
 テロリストたちはあまりにも若く描かれているのでびっくりしたが、実際、Wikipediaで辿れる情報を調べていくと、配役はどこかしら人物の雰囲気を残すよう、慎重に配役がなされたようだ。


 なかでも、パイロット役の青年の繊細そうな様子が素晴らしい。
 彼らがいかように屈折した内面を抱えているのかは、イスラム原理主義パレスチナをモティーフとした小説、ヤスミナ・カドラの『テロル』などの作品を読めば、痛々しいほどよくわかる。

テロル (ハヤカワepiブック・プラネット)

テロル (ハヤカワepiブック・プラネット)


 同じ9・11をテーマにした映画でも、『ワールド・トレード・センター』がかなり煮え切らなかったのに比べ、『ユナイテッド93』は図抜けている。
 特定のイデオロギーの鼓舞から映画というジャンルを切り離した「宙吊り」の実践としては、これ以上はなかなか望めない。


 調べてみたところ、ユナイテッド93の末路に関しては、空軍に撃墜されたという「撃墜説」があり、それなのにこんな作り方をするとはけしからん、反アラブを煽るためのプロパガンダだ、という批判もあるようだ。
 どれだけ「撃墜説」に信憑性が持てるのかはわからないが、それでこの映画を批判するのは的外れだと思う。
 テロリスト側の描写がリアルなので、そのリアルさからはプロパガンダ色はあまり見えてこないからだ。
 また、この映画には忠実なメイキングがついており、出演者が役作りのために遺族のもとを訪れる様子などが描かれている。ポーズだという臭いはあまりしない。
 メイキングを観れば、テロの犠牲になった無辜の人々が、無名の大衆ではなく、一個の「顔」として見えてくる。なので、そのあたりは何か言うよりも、直接メイキングを見るのが一番早いと思う。


 だが、それにしても言葉に詰まる映画だ。
 『ホテル・ルワンダ』を最凶のゾンビ映画だと、見事な喩えを行なった町山智弘氏もなんだかこの映画については切れが悪い。
 かえって、アマチュアの方のほうが、こういった映画にうまくアプローチすることができるようだ。例えば、スラヴォイ・ジジェクの『テロルと戦争』に絡めて語る批評がWebでは見つかり、なかなか感銘を受けた。


 なおジジェクに関しては、僕は愛憎相半ばするところがある。だが少なくとも、「Are we in a war? Do we have an enemy?」は実に見事なエッセイだと思う。