向井豊昭逝去


 既に『早稲田文学』のサイトにも出ていますが、6月30日朝、肝臓癌のため逝去。
 20代の頃、結核を治療する際に受けた輸血が原因で癌に罹患し、今年に入ってからかなり容体が悪化していたとのことです。


 そのような状況のなか、新刊『怪道をゆく』が出せるところまでこぎつけたのは、ひとえに作家としての矜持、執念が勝ってのゆえでしょう。


 荼毘に付される直前に、池田雄一氏と一緒に自宅へお邪魔し、初めてお顔を拝見し、遺族の方々にかつての逸話を色々と聞きかせていただくことができました。
 遺言により、葬儀も何もなく、荼毘に付した後、青森に遺骨を埋葬するだけの、センチメンタリズムのかけらもない最期。
 まったく、大したものです。


 遺されたアイヌ関係の書物のうち、僕は、作品にも引用されていた『北方の古代文化』と、アイヌ関係の神話の書物をいくつか譲り受けました。
 昨年からずっとケルト神話を研究していたこともあり、神話的思考には馴染みがあります。
 いずれ僕も、北海道の歴史と文化を題材にしたものを何か書いてみたいと思っています。


 後に、絶筆となった『島本コウヘイは円空だった』を息子さんからいただきました。
 これは、亡くなる数日前、病床で幻覚に襲われていた向井さんの様子を家族の方が聞いていて、その内容を意識を取り戻した際の向井さんに伝えた際、「これは小説になる」と向井さんが言って、息子さんの口述筆記で一気に書き上げたものだということ。
「もっと真面目なタイトルがいいんじゃない」
 と奥さんがたしなめたところ、「東スポみたいないかがわしさがあってこそだ」ということで、さすが向井豊昭
 そのパンク魂、ただものではありません。


 実際、『島本コウヘイは円空だった』にはこう、書かれていました。
「言葉を詰まらせることは犯罪なのじゃ」!

怪道をゆく

怪道をゆく


※追記:『島本コウヘイは円空だった』は、カフカの『判決』にも匹敵する傑作だと思います。
晩年で枯れる作家は売るほどいますが、こんな遺作を書ける人、見たことありません。