「21世紀、SF評論」に門倉直人論を書きました。

 お知らせです。「21世紀、SF評論」に、「忘れたという、その空白の隙間で−−門倉直人『ローズ・トゥ・ロード』試論」を掲載いただきました。岡和田の2010年を締めくくる長篇評論です*1

http://sfhyoron.seesaa.net/article/173296285.html

 なぜSFサイトに門倉直人論を? Analog Game Studiesがあるではないか、と思った方のために補足を。
 いずれ同稿をAGSに転載(あるいはリンクその他で紹介)する可能性はあります。
 ただ、まずは「21世紀、SF評論」という場所にて世に問う必要がありました。門倉直人を物語論の地平に思いきり引き寄せる作業の重要性を痛感していたからです。それは2010年の後半に出た『エンドレス・ガーデン』と『華竜の宮』という2冊の試みに心打たれたから、というのも大きくあります。『エンドレス・ガーデン』を理解するためには、この門倉論で示したような視点は不可欠でしょう。

 ブログに本の感想を書いたことがある人ならばわかると思いますが、作品というのは常に静的なもの。その作品に限りなく自己を適合させていくことが作品に近づくこととなる。もちろん作品に敬意を払うのは最低限の前提条件であるのは間違いありません。ただし、作品を静的なモデルのみで考えてしまっては見えてこないものがあるのも事実だろうと考えています。

 私自身、文芸評論の仕事においてこの壁に突き当たってきました。作品を「解釈」するだけではなく、「運用」を前提とした、いわば生き生きとした動的なモデルとして捉え返すための「銀の鍵」が必要だと思ってきました。
 ここから始めなければ現代のSFが何を志向しているのかもわかってこないだろうし、批評が現代思想の奴婢となってしまう。そう。自分なりに危機感を抱いていたのです。

 だから今回の『ローズ・トゥ・ロード』論は本気です。トールキンの「妖精物語」については底が果てしなく、とてもじゃないがトールキンについての拙訳をさらす気になれなかったため、先達の力をお借りしておりますが、『ローズ・トゥ・ロード』から新しいものが始まる。その確信をもとに書きました。

 作品に対する理解を深めるためには、同時に従前の作法とは異なるアプローチによって「眼を開かれる」こともやはり必要なのではないかと感じています。
 その意味で『ローズ・トゥ・ロード』は、私の『D&D』や『ウォーハンマーRPG』への見方、接し方も良い意味で深めてくれました。

ローズ・トゥ・ロード (ログインテーブルトークRPGシリーズ)

ローズ・トゥ・ロード (ログインテーブルトークRPGシリーズ)

*1:まだ隠し玉が出せそうな感じもしますが……