第34回日本SF大賞推薦文(推薦者:岡和田晃)

 日本SF作家クラブ会員の岡和田晃は、第34回日本SF大賞エントリーとして以下の作品を推薦いたします。


・宮内悠介『ヨハネスブルグの天使たち』(早川書房
日本は、事実上の戦時下にあると言ってよいだろう。だが、その内実はマスメディア・ソーシャルメディア問わず、まるで意識されていない。文化状況はそれを反映して微温化の一途を辿り、一方で排外主義的な風潮は静かに浸透しつつある。旧来型のハードSFが、こうした状況へ無自覚に加担することでその限界を露呈しているのに比して、本作はポストヒューマン・テーマの最も昏い部分を見据えながら、科学技術が本来的に内包する政治性をフラットに問い直し、大胆に「外」へと開かれている。加えて本作は、英訳版がシャーリー・ジャクスン賞の候補ともなった伊藤計劃The Indifference Engine」が内包した問題意識を的確にふまえながら、数多刊行された伊藤計劃劣化コピーのごとき作品群とは一線を画している。「継承」の問題に自覚的で、かつ、その重荷を乗り越えようとする意味で、本作は日本SFの看板を背負うに値する傑作であると確信する。


岡田剛『十三番目の王子』(東京創元社
ハイ・ファンタジーは事実上の壊滅状態にある。トールキンが述べた"consolation"の感覚が、「癒やし系」として通俗的に浸透してしまったのが一因であるだろう。私たちは想像力まで規格化されている。なかでもヒロイック・ファンタジーは、過小評価の一途を辿っている。本作は、そうした状況を一作で変革しうる記念碑的傑作だ。伊藤計劃言うところの「世界精神(ヴェルトガイスト)」型の悪役という人物造形を大胆に取り入れながら、本質的に反近代を志向するヒロイック・ファンタジーニーチェ的な暴力性を、圧倒的な筆力で紡ぎ出す身体感覚の妙に結集させる。ファンタジーは往々にしてSFのサブジャンルとみなされ、SF大賞でも概して評価が低かったものと認識しているが、本作はファンタジーの立場から「SFとは何か」をしたたかに問うものともなっており、SF大賞に推薦するにあたっていささかの躊躇いも感じない。


・酉島伝法『皆勤の徒』(東京創元社
現代SFにおいてポストヒューマン・テーマの重要性が日々高まっているのは、多言を要しないだろう。本作は何よりも「日本語」の造語的側面に着目し、卓越した造語センスによって、異形の未来を余すところなく描き出す。それが、人間を情報として捉えるサイバーパンク以後のポストヒューマン理解と、ルネッサンスに確立されたヒューマニズムの彼岸を描くポスト・フーコー的な人間理解とに、うまく接合されている。また、挿入されたイラストレーションも美しく、ヴィジュアルと文章を見事に融合させたW・G・ゼーバルトの諸作を彷彿させる側面もある。「日本SF冬の時代」は、商業的なシーンにおけるSFの困難が重要な課題となっていたが、本作は何よりもまず、表現としてのラディカリズムにおいて、「冬の時代」の困難を超克する圧倒的な膂力を感じさせるものだ。


山野浩一「地獄八景」(『NOVA10』所収、河出文庫
日本SF第一世代(厳密には一.五世代と言うべきか)にあたる山野浩一の三十年ぶりの新作は、単に巨匠が復活を遂げた、というだけではない。伊藤計劃樺山三英・宮内悠介ら若い世代の活躍に刺激を受け、彼らの作品に対する返歌として、「世界内戦」(シュミット)下における「死」の情景を、達観した「笑い」の境地から再考するという野心作。これまで日本SF大賞は、先行世代の功労者をその没後に特別賞や特別功労賞といった形で報いることが多かったが、それでは遅すぎる。そもそも「NW-SF」誌の創刊やサンリオSF文庫の編集顧問といった重要な仕事をはじめ、戦後日本文学を語るうえで山野浩一の仕事はどうあっても外せない。「本の雑誌」でサンリオSF文庫の特集が組まれたことも記憶に新しいが、山野浩一の批評精神は、今こそSFの「周縁」ではなく「中心」において評価されなければならないだろう。


・林美脉子『黄泉幻記』(書肆山田)
ドイツ・ロマン主義が確立した批評的なフレームの延長線上にSFの理念型を考えてみた場合、それは小説よりもむしろ詩の形ではっきりと顕現する類のものではないか。歴史を振り返ってみても、ラングドンジョーンズ『レンズの眼』のように、アンリ・ミショーの詩篇を思わせる光芒を見せた作品も書かれている。本書には、エドガー・ライズ・バローズの世界をも作中に取り込んだ前作『宙音』の系譜に連なる詩篇が集められているが、前作で描かれたヴィジョンはいっそう深められ、宇宙論的なスケールと宗教的な贖罪のモチーフが相俟った、死と性の根幹を抉る鮮烈な作品となっている。昨年日本語で書かれたSF作品のなかで、もっともジェンダーSFの本義にかなう作品でもある。日本SF大賞はなぜか詩に冷淡であり続けてきたが、日本SFの旗手の一人荒巻義雄が詩人としても高く評価された現在、かような姿勢は時代遅れと言うほかない。


・伊藤優子編、巽孝之監修『現代作家ガイド6 カート・ヴォネガット』(彩流社
イラストレーターとしても著名なYOUCHAN(伊藤優子)が編集を手がけた本書は、批評に必要なジャーナリスティックな関心と、アカデミックな研究としての精度を兼ね備えているという意味で、まさしく充実した完成度を誇っている。ヴォネガット大江健三郎との対談からキルゴア・トラウト作品リストに至るまで、硬軟取り混ぜた構成が素晴らしい。また、イラストレーターらしい造本やデザイン、手書きの地図などのこだわりも、本書を凡百の解説書から一線を画したものとしている。没後、ヴォネガットそのものが「典型的なポストモダンの作家」という枠組みで虚しく消費されているかに見える状況下、また「ゼロ年代批評」が軽佻浮薄な流行の後追いに終始するなか、創作と批評が同じフィールドでの勝負を余儀なくされるという(考えれば奇妙な)SF大賞の慣習を措いても、本書には創作と肩を並べて勝負を期待できるだけの強度が備わっている。


・「SF Prologue Wave」
2011年に創刊されてから、もうすぐ三周年を迎える日本SF作家クラブ公認ネットマガジン「SF Prologue Wave」。本作はプロの作家たち自身がSFのための新しい「場」を創出すべく、編集・運営・広報等に現場で携わりながら、ショートショート・コラム・著者インタビュー・イベントレポート・シェアードワールド小説など、多様な企画を貪欲かつ持続的にこなしていくことで、旧来は持続的な運営が難しかった電子媒体における作品発表の「場」として、確実に定着しつつある。また、SF作家クラブ会員のほか、多彩なゲスト寄稿者にも恵まれ、ここから新たなムーヴメントが起きそうな予感にも満ちている。過去、日本SF大賞は『異形コレクション』のようなアンソロジーにも授賞されたことを鑑みると、本作も授賞にふさわしい。


2014.01.06追記:
一部推薦文に、誤字・てにをはレベルのミスがありましたので、差し替えました。文意そのものは一切変わっておりません。日本SF作家クラブ事務局には、同じ内容をすでにメールで連絡済です。