2024年10月26~27日に、広島大学東広島キャンパスで行われる2024年度の日本近代文学会秋季大会、10月27日の回にて、第3会場・10:30より、岡和田晃は研究発表「「アイヌ文学」と「給与地」闘争――「階級的組織化」をめぐる向井豊昭・石井清治・原田了介の視点から」を行います。
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【要旨】
本発表では、アイヌ民族と和人の関係史的な視点を採用することで、北海道文学史・日本近代文学史と、アイヌ民族の活動史・労働運動史が交錯する地平に生じた死角を逆照射することを目指す。「アイヌ文学」の枠組みを拡張させつつ、歴史的な反省の視座を打ち出すことで、脱政治化させることなく、パターナリズムの弊害を乗り越えようと試みる。
この際に着目するのが、第二次世界大戦後間もない時代からの、「旧土人給与地」をめぐるアイヌの闘争における連帯のあり方だ。1950年代後半からの観光ブーム期、北海道にはヨーロッパ的な「異郷」のイメージが投影され、文学においてもアイヌはほぼ関心の埒外にあった。アイヌは「語り」の主体性を剥奪され、社会活動は停滞状況にあったとみなされている。
この時代、国が地方改善整備事業の応用としてのアイヌ政策を推進していた状況下において、貝沢正(1912~1992)らアイヌ民族は、むしろ積極的に「被差別部落民」とコミニュケーションし、突破をはかった。架け橋となったのは北海道で勤医協・民医連運動に関わった石井清治(1928~95)で、先行世代の浦河町議会議員・原田了介(1906~81)とともに大狩部旧土人給与地返還闘争を戦った経験を有していた。彼らは日本共産党員でもあったが、同党が綱領にアイヌ政策を盛り込んだのは1972年であり、党中央からほぼ関心を向けられないまま闘争を継続せざるをえなかった。
本発表では、彼らの回想的記述の文脈を論じるとともに、石井が勤務した厚賀診療所――武田泰淳『森と湖のまつり』のモデルのひとつとも言われる――がどのように表象されてきたかを手がかりにもする。六全協以降の共産党とアイヌ、教育制度をめぐる複雑な事情を同時代に小説化した向井豊昭(1933~2008)の「チカパシ祭り」も参照することで、彼らの目指した「階級的組織化」の実相を探り、レイシャル・キャピタリズムの制度的固着を食い止める批評的な可能性を模索する。
【要旨補足】
向井豊昭・石井清治・原田了介の視点を統合させることで、石井らの影響を強く受けた、福澤稔(筆名ひだかたかし、1943~?)のテクスト「あいぬ病院記」をも参照する。
会報141号でもご紹介いただきました。