秋葉原通り魔事件


 世間はこの話題で持ちきりのようですが、実はこの事件の現場、イエローサブマリン秋葉原RPGショップの目の前ですね。


 実は事件当日は、「Secret Struggles in Sharn」でもお馴染みの面子との『ダンジョンズ&ドラゴンズ』キャンペーンの日でした。
 いつも使っている施設が休館日のため借りられなかったので、しょうがないから、イエローサブマリン秋葉原RPGショップか、その通りをまっすぐいったところにある「Role&Roll Station」のプレイスペースを借りようかと思っていたのです。


 その場合、集合予定は12:00頃。僕は珍しく、体調不良のため、30分も集まりに遅刻しました。
 今回はたまたま「R&R Station」は埋まっていて、じゃあイエサブもダメだろうからいいやと、別な施設を取ってしまっていたので結果的に事なきを得たのですが、もしスペースが取れていたら、ちょうど『D&D』グッズ(総計30㎏超)を持ったまま、突っ込んでくるトラックと対峙するハメになっていたでしょう。笑えません。
 しかも、僕だけではなくキャンペーンのメンバーにも、何かしら害が及んだ可能性があるわけです。


 僕は「心の闇」なるものを信じません。犯人はだいたい僕と同世代なのですが、いわゆる「酒鬼薔薇事件」世代の特異性も信じません。精神分析、おとといきやがれ。社会学的アプローチなんざ、あっかんべーです。


 ただ、底辺生活を長らく続けている身には、人混みにトラックを走らせたくなるような気持ちも、なんとなくわかってしまいます。おそらく「日常」と「トラック」のはざまには、あえて直面しようとしないだけで、薄氷一枚の差もないのです。


 問題は、何をもってその衝動を推し留めさせるか、でしょう。
 暴力か、倫理か、政治か。残念ながらどれも嘘くさい。
 言いたいことがあるとしたら、大岡昇平の『野火』の冒頭に引かれている、『歎異抄』の
「わがこころのよくてころさぬにはあらず」
 ただ、この言葉を噛み締めるべきではないか、ということです。

野火(のび) (新潮文庫)

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 あるいは、佐藤亜紀のエッセイ「ペーター・キュルテンは我らの友」でもよいでしょう。


 かつて大久保に住んでいたときも、何度かこうして「薄氷の向こう側」を見たことがあります。
 そのときも今も、僕に何事もなかったのは、単に「確率論」の「暴力」が、肯定的に働いたため。それだけの話ではないかと思えてなりません。