「文藝家協会ニュース」2019年12月号(日本文藝家協会)に「ロールプレイングゲームという仕事」を寄稿
「文藝家協会ニュース」2019年12月号(日本文藝家協会)に「ロールプレイングゲームという仕事」を寄稿しました。会員向けの自己紹介、といった体裁の文章ですが、私のスタンスを簡潔明快に紹介するようにつとめたので、こちらにも転載しておきます。
ロールプレイングゲームという仕事
岡和田晃〈文芸評論家、ゲームデザイナー〉
文芸評論家、SF評論家、翻訳家、大学講師、幻想文学専門誌「ナイトランド・クォータリー」編集長という肩書に加え、最近では、現代詩を書けるようになって賞まで頂戴してしまい、現代詩作家という肩書も使う機会が出てきた。自分の問題意識に即した表現形式を選んでいるだけで、芯に据えたものは共通させているつもりなのだが……どうも傍から見ると「何をしているのかわからない人」にカテゴライズされつつあるようだ。とりわけ、首をかしげられることが多いのは、私が二〇〇七年からプロとして続けているロールプレイングゲーム関連のデザイナー(作家)という仕事である。
RPGの仕事をしていると自己紹介した際、「VRですか?」とか「ドラクエですか?」などと聞かれることも珍しくない。けれども、コンピュータ文化が発達する前からRPGは連綿と存在してきた。実際、二〇一九年七月に刊行された『傭兵剣士』(書苑新社)は、世界で二番目に古いRPG『トンネルズ&トロールズ』の古典シナリオ(一九七九年)の翻訳に、私が註釈をつけ、雑誌に連載した公式続編をパッキングしたというものだ。
学術的なゲーム研究では、ゲームと他のストーリー・メディアの差異を、双方向的(インタラクティヴ)であるか否かに置いている。司会進行役をつとめるゲームマスターとプレイヤーの当意即妙のやり取りによって、双方向的にストーリーを作り上げることこそが、RPGの骨格にある考え方である。双方向的だからこそプロットには可塑性が生まれ、展開は複数的になっていく。私は、このようにゲームを運用する際、指針として用いるシナリオを執筆したり、一人で遊べるようにアレンジしたり、ストーリーの生成プロセスを小説化したりする仕事を、少なからず手掛けてきたのだ。
歴史的に見れば、口承文学はRPGそのものだ。近代でも、ブロンテ姉妹も架空の王国を創り上げてRPGの原型のような遊びをしていた。トールキン以後の隆盛は説明するまでもない。私が翻訳・紹介してきた海外作品は、まさしくこうした伝統をそのままに継承するものである。
だから私は自分の手掛けるRPGを悪しき意味での「日本的」な「オタクカルチャー」だと、ついぞ感じたためしがない。小説や演劇が、そのまま「オタクカルチャー」ではないのと、まったく同じである。RPGの方法は、小説や詩に他者の声を取り入れる「批評」だと考えたほうが、その可能性をより広い形で引き出していくことができるものと信じる。