「SFマガジン」2010年9月号「東京SF大全」の訂正点につきまして

 SFウェブジン「THATTA ONLINE」268号の「第49回日本SF大会 TOKON10 レポート」において、大野万紀さんによる「東京SF大全を通じてSF評論の意義を問い直す」の報告が掲載されています。
 http://www.asahi-net.or.jp/~li7m-oon/thatta01/that268/tokon10.htm

 ディーラーズやゲストの控え室でごろごろ。山野浩一さんに久しぶりに会ってお話する。荒巻さんもいっしょだった。まさに山野・荒巻論争だ。というわけで2つ目に見た企画は「SF評論の意義を問い直す」。
 森下さんの司会で、巽さん、山野さん荒巻さんと、SF評論賞をとった若手評論家たちのパネル。
 荒巻さんからいきなり「きみたちは勉強が足りない」との言葉があって、そこから各自のSF評論に対するスタンスや意思表明が始まる。過去のSF批評とは別の切り口で、読み直しを図りたいといった言葉が多かった。昔は出ているSFを全部読むことが可能だったが今はとても無理。そこで総体を見るにしても作家論を足がかりにするしかないのでは、などという意見が表明されていた。パネラーの若手評論家たちの個々の評論をちゃんと読んでいないので、実はよくわからなかったのだが、SF思考がカルチュラル・スタディーズに取り込まれてしまったことへの対応、といった言葉が印象に残った。
 全体に岡和田くんの物言いがすごく生意気で(悪い意味じゃないよ)若々しく才気に溢れている印象だった(他の人、ちょっと大人しすぎるのでは)。でも知っている人に後で聞くと、どうもきちんと調べずに突っ走っているところもあるようで(アメコミの話など)、もっと研鑽すれば鋭い次代の論客になるのだろうと思われた。

 と、もったいないお言葉をいただきました。
 なおアメコミについて「きちんと調べず突っ走っている」というご指摘をいただきましたので恥ずかしく思い、大野さんの元へと問合せをさせていただきました。すると、アメコミについてお詳しく、翻訳も多数あるというご友人にわざわざお尋ねいただき、ご回答をいただきました。
 その内容をふまえて拙記事を再精査いたしましたところ、「SFマガジン」2010年9月号(P.84)東京SF大全に寄稿させていただいた「RONIN」についての拙稿における「「RONIN」はその処女作だ。」という部分が誤りであることが判明いたしました。
 すなわちフランク・ミラーの処女作という点は私の誤認識であり、70年代にもいくつも作品が発表されているのがわかりました次第です。こちら、早川書房の編集者の方に許可をいただきまして、この場を借りて訂正させていただきます。申し訳ありませんでした。

S-Fマガジン 2010年 09月号 [雑誌]

S-Fマガジン 2010年 09月号 [雑誌]

Ronin

Ronin

 なおいささか言い訳めきますが、そもそも拙稿の趣旨に立ち返ってみれば、私が『RONIN』を取り上げたのは、海外で発表され、日本SFの文脈では(鏡明さんの紹介などを除いて)まま見過ごされてきた『RONIN』を「東京SF」として再評価の遡上に載せることにありました。
 私は『スポーン日本語版』を契機にアメリカン・コミックを読み始めた若輩者ですが、海外のRPGやSF文化を拙いながらも翻訳・紹介する過程において、アメコミの表現形式がその強度に比して(批評の文脈でも、産業的な流れにおいても)極めて軽視されているこという危機意識があります。
 そのような問題意識から「東京SF大全」においてアメコミ枠の必要性を強固に訴え、『RONIN』を推薦させていただきました。
 アメコミにお詳しいご友人の方にせっかくお読みいただく機会を得たにもかかわらず、つまらないミスのせいで内容にまで踏み込んでいただくことができず、お恥ずかしい限りです。ただ、『RONIN』の表現技術のすばらしさのせめて一端だけでも、拙稿を通じて届けられていればと願わずにはいられません。



 また、「帝都物語」のレビューで「加藤保慶」とありますが、正しくは「加藤保憲」となります。(2012/04/05追記)