「季刊メタポゾン」9号到着

 寄稿させていただいた文芸誌「季刊メタポゾン」9号、ぶじに見本誌が届きました。上質紙に、内容がギッシリ。「電子書籍の時代に、あえて紙の雑誌にこだわる」と銘打つだけある、立派な本です。
 「メタポゾン」9号の情報はまだ出ていませんが(追記:出ました)、本が出版されたのは確かですので、公式サイトの「講読受付係」に連絡すれば、入手できることと思います。

 詳しい目次は、過去のエントリを参照してください。


 紹介を兼ねて、簡単に所感を書いていきます。
 まずは、「書評・レビュー特集」、出久根達郎さんの「書評は怖い」は、ボツ原稿に関する話。物書きは身につまされる恐ろしい話。人間はなんとも業が深い。すが秀実さんが、「フォルマリズムは政治を回避できるか」というタイトルで、渡部直己『日本小説技術史』を論じていて、大いに刺激を受けました。『日本小説技術史』じたいが、読者の批評精神の如何を鋭く問う(リカルドゥー式ヌーヴェル・クリティークを再生させる)、そういう類の書物なのです。中条省平さんは「時空を超えるテロと祝祭の古典劇」と題し、シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』と、タヴィアーニ監督の映画『塀の中のジュリアス・シーザー』をレビュー。後者は、Analog Game Studiesの齋藤路恵さんが注目していた作品。シンクロニシティを感じます。
 連載、清水徹郎さん『シェークスピア講義ノートから』は「対話の魔術とハムレット」と題し、シェイクスピア演劇の魔術性(あるいは脱魔術性)の考察。加藤喬さんの『モントレー風便り』は、「寒い国から逃げて来た男」で、これはル=カレ好きには熱い話でした。また、第5回日本SF評論賞選考委員特別賞の高槻真樹さんは、石坂洋次郎岡本喜八『ある日わたしは』、および『クラウド アトラス』について論じていますね。
 私は「『北海道電力泊原発〉の問題は何か』を読む」、「歴史の表層と『醜聞の作法』」という二点の論考を寄稿しています。なお「メタポゾン」第9号掲載の、佐藤亜紀『醜聞の作法』論は、以前、開催した『醜聞の作法』読書会(http://speculativejapan.net/?p=237 )および、ガザミさんの先行研究(http://d.hatena.ne.jp/Portunus/20110124/p1 …)を参照しています。関係各位には、改めて御礼を申し上げます。