『向井豊昭傑作集 飛ぶくしゃみ』が発売されました。

 全国の書店にて、『向井豊昭傑作集 飛ぶくしゃみ』の流通が始まったようです。見本誌も無事、届きました。

 作品集としては『怪道をゆく』と対をなす作品といってよいでしょう。これで、最晩年の傑作をあらかた世に出せました。それでは、収録作を簡単に紹介していきます。

 収録作「うた詠み」「「きちがい」後日談」は、60年代に「アイヌ」と教育運動に携わった者の立場から、その内在的論理が伝えられるきわめて貴重なテクストです。この問題は、中野重治-山城むつみの「連続する問題」として「在日」、さらには沖縄の問題ともからみます。
 「うた詠み」は1981年に北海道文学全集に入っていますが、図書館への架蔵が極端に少ない模様です。メッセージ性と小説技巧が奇跡的に融合した傑作といってよいでしょう。
 「アイヌ」の歌人違星北斗の歌が織り込まれますが、執筆時点で北斗の資料など、ほとんどありませんでした。
 その 「うた詠み」は、教え子である12歳の「アイヌ」少女が、妊娠してしまったという衝撃的な事件で幕を開けます。向井は、いわゆる僻地校で教員をしていましたが、「うた詠み」では60年代、「アイヌ」についてどう教えるかという基準すらろくに定まっていなかった頃の内実を克明に伝えてくれます。
 「うた詠み」は「文學界」に掲載されたので、高井有一後藤明生(近い年に同じ枠で掲載され、ブレイクした作家)のように中央文壇で評価される可能性もありました。しかし、当時の道南で、向井のようなスタンスを教師として働きながら貫くのは容易ではありませんでした。
 「耳のない独唱」は、「サバルタン」としての「アイヌ」の少女−女性の一人称を軸に、差別と貧困の問題を鋭く告発する傑作です。もとは限定30部。複合的な語りが駆使され、複雑な状況をリアルに伝えます。当時の状況としては、作家が影響を受けた写真集、掛川源一郎『若きウタリに』(研光社)や、作家が書評を書いていた菅原幸助『現代のアイヌ 民族移動のロマン』現文社も参考になるかもしれません。
 エスペラントという理想」は、向井が、知里真志保アイヌ民譚集から、「パナンペとペナンぺ」をエスペラント語に訳した時のエピソードが綴られます。今の目で読むと、いわゆる英語帝国主義、インターネットへの過剰な傾斜への批評として読めます。北海道を代表する文芸誌「北方文芸」の巻頭を飾りました。パナンペとペナンぺは、ラストの「新説国境論」にも登場します。
 エスペラント語からの翻訳「シャーネックの死」は、独ソ戦のさなかハンガリーで起きた事件を、プロバガンダではなく実存を核に描きます。道南の「辺境」が、世界史とつながる瞬間を感じてください。大江健三郎ファン、じつは伊藤計劃ファンにも強くお勧め。 作者ベンチク•ヴィルモシュは、主に批評家として知られており、ハンガリー語ウィキペディアには記述があります。快く収録許可をいただきました。著者の作品が日本の商業媒体に載るのはおそらく初めて。東欧文学ファンなら血が騒ぐはず。
 「ヤパーペジ チセパーペコペ イタヤバイ」は、何語かわからない奇妙なタイトルが目を惹きます。向井豊昭は96年の早稲田文学新人賞受賞以後、蓮實重彦中原昌也を絶賛させるような、過激でパンクなスタイルでの作品発表を始めました。単行本『BARABARA』『DOVADOVA』の2冊は、そうした「早稲田文学」時代の雰囲気をよく伝えてくれます。なかでも、もっとも過激なのが「早稲田文学ヌーヴォー・ロマン特集号を初出とする本作。音符記号を駆使した奇怪なタイポグラフィの洪水! そして、児玉花外が作詞した明治大学校歌、相馬御風が作詞した早稲田大学の校歌など、たくさんの「うた」が挿入されます。実は「うた詠み」や「耳のない独唱」でも、作中に詩が挿入されます。詩は向井文学の重要なモチーフですが、過激な描写で存分に愉しめます。
 表題作「飛ぶくしゃみ」は、小熊秀雄の「飛ぶ橇」を本歌取りした作品ですが「飛ぶ橇」の登場人物がそのまま登場し、語り手とメタフィクショナルな対話を繰り広げ。そこに、「差別」に伴う切実な問題意識が絡みます。つまり、教育の現場で「アイヌ」に関わってきた向井豊昭の自己処罰の感覚が、個人史レベルに留まらず、小熊秀雄の先駆性とその限界を批評する形で語り直されているわけです。家族小説としても面白く、希望を感じるラストに、この作品は表題作にふさわしいと判断しました。なお、向井豊昭が遺した「小熊秀雄への助太刀レポート」(http://www.soufusha.co.jp/opinion/hiroba8.html)および「続・小熊秀雄への助太刀レポート」(http://www.geocities.jp/gensisha/mukaitoyoaki/zokuoguma.html)は、それぞれWebにて無料で読むことができます。
 掉尾を飾る「新説国境論」は、向井豊昭のもう一つの「遺作」。本作を執筆した後に、病気が悪化した幻覚を記述した「島本コウヘイは円空だった」(「早稲田文学2」)が書かれるわけですが、同作の前に書かれた姉妹編ともいえるのが「新設国境論」。最後に読んでください。

 以上、簡単に収録作を解説してきましたが、年譜・解説・口絵も充実したものにいたしました。同時代の文学状況に投じられる強度があると確信しています。
 本日、ジュンク堂池袋本店で、市川真人さんとの発売記念トークイベントが行なわれます、続きはこちらで!


・「早稲田文学7」(早稲田文学会)*「向井豊昭傑作集」(未來社)刊行記念トークセッション 反骨と哄笑の文学」
http://www.junkudo.co.jp/mj/store/event_detail.php?fair_id=3953