第36回日本SF大賞推薦文(推薦者・岡和田晃)

 日本SF作家クラブ会員の岡和田晃は、第36回日本SF大賞エントリーとして以下の作品を推薦いたします。
 

林美脉子 『エフェメラの夜陰』(書肆山田)
 現代日本のあらゆる文化と同じように、現代詩もまた、高度資本主義社会に包摂されたシミュラクルとしての相貌を露わにしている。紡がれる言葉はとかく「ゆるふわ」で、手垢のついたイマージュの反復に終わっている、というわけだ。しかし、林美脉子はどう見ても別格である。第34回に『黄泉幻記』を推薦した私は、日本SF大賞が詩に冷淡であり続けてきたことを批判したのだが、実は詩壇もまた、「宇宙の神殿を支配し、王さえも自在に操る」巫女の託宣とも言うべき、林の反時代的な詩的言語への黙殺を続けてきたというほかない。その強度に恐れをなしたからだろう。けれども『エフェメラの夜陰』の光芒が消え去ることがないと私は知っている。空知野というトポスが培ったヴィジョンが、宇宙の最深奥を鋭く穿つ。瞠目せよ、ステープルドン、ラヴクラフト、レムの系譜に連なりながら、彼らが描けなかったジェンダーの領域にも鋭くメスを入れる真の傑作に。


佐藤哲也『シンドローム』(福音館書店
 第23回の候補作となった『妻の帝国』、第30回の候補作となった『下りの船』は、そのクオリティに比して意味不明な評を受けて落選することとなった。ぜひ、今回の『シンドローム』が三度目の正直となることを切に願う。『宇宙戦争』等の「コージー派の侵略・破滅SF」(山岸真牧眞司)を批評的に咀嚼しつつ、歴史と表象を問うた作品である。歴史修正主義にも通じる「物語」の暴力を巧妙に迂回し、「(注‥事実という)空白の空間を包み込む網目状の構造」(佐藤亜紀『小説のタクティクス』)に、実証史学的なアプローチとは別個の正確性をもって接近する。巧妙な文章配置、トーベ・ヤンソンの昏さを継いだ西村ツチカの挿画、トーマス・ベルンハルトばりの「国語」への激烈な非難といった方法で、世界内戦下に生きる人々の「顔」の不在を浮き彫りにする。(「図書新聞」2015年04月11日号掲載、連載文芸時評での言及箇所を改稿)


巽孝之/三浦祐嗣編『定本荒巻義雄メタSF全集』全7巻+別巻(彩流社
 『柔らかい時計』や『白き日旅立てば不死』、『時の葦舟』等の著名ながらも入手困難だった70年代の傑作群に加え、『カストロバルバ』、「プラトン通りの泥酔浴」、『聖シュテファン寺院の鐘の音は』といった80年代に発表された作品群、「ポンラップ群島の平和」、「花嫁」、『骸骨半島』等の90〜2010年代の作品、さらには「エリートの文学SF」などの希少なファンジン初出のSF評論までをも所収した本作は、アニメや映画とのタイアップではなく、批評性のみを推進力としてここまで盛り上がった現代SFとして、まこと稀有な試みとなっている。解説や月報も充実し、批評集としても読むことも可能。無限の発展可能性を秘めたカウンター・カルチャー、内宇宙の冒険を堪能してほしい。学術出版社・彩流社の本格的なSF出版参入の意義を称えるうえでも大賞に推したい。(参考:「図書新聞」2015年9月5日号「思弁小説(スペキュレイティブ・フィクション)の新しい体系」)


YOUCHAN『TURQUOISE(ターコイズ)』(アトリエサード/書苑新社)
 イラストレーターとして四半世紀のキャリアを持つYOUCHANが、これまでの軌跡をまとめ直した初めての商業画集。オリジナルの描き下ろしにこだわり、個展で見るセンス・オヴ・ワンダーをそのまま作品化したようなイラスト群(「思想」や「読書」等)は一段と独創的だし、『予期せぬ結末』シリーズ(扶桑社)の挿画群や「ハノークは死んでいた」(牧野修、「SF Prologue Wave)は、ホラー/サスペンスの雰囲気をコンセプチュアルに表現している。『小学音楽 音楽のおくりもの』(教育出版)の表紙絵は、子どもが親しめる楽しさに満ちている。総じてその作風は知性的で、カート・ヴォネガットの研究書を編集した著者によるテクストの“読み込み”が、如実に反映されている。SF小説のカヴァー・アートの多くが萌え絵に席捲されつつある状況において、台風の目となる画集だろう。(「TH(トーキング・ヘッズ叢書)」No.60、同名個展へのレビューを改稿)


現代詩手帖」2015年5月号「【特集】SF*詩――未知なる詩の世界へようこそ!」(思潮社
 現代詩とSF・ファンタジーの相性がよいのは、論証するまでもない事実である。どちらも言葉を駆使して、言葉では表象不可能な領域を瞥見しようと試みる表現だからだ。にもかかわらず、マーケティング的なものへの批判的視座を欠き「空気」に流されやすい日本のSF文壇においては、本格的に融合が試みられた過去がなかったのである。こうした袋小路を打破した画期となる本特集では、円城塔「シャッフル航法」、飛浩隆「La Poésie sauvage」、酉島伝法「橡(つるばみ)」といった秀作の驚くべきクオリティ、ラングドンジョーンズ『レンズの眼』、リチャード・コールダー『デッドボーイズ』(いずれも増田まもる訳)を現代詩として再評価する視座の提示、さらには生野毅「「未来」と「回帰」――SFと詩の〈岬〉に向かって」、橋本輝幸「英語圏のSF詩」といった批評の充実により、交わらなかった二つの回路が通じあった。さらなる興隆を願って大賞に推す。


「ナイトランド・クォータリー」および「ナイトランド叢書」(アトリエサード/書苑新社)
 ハイ・ファンタジーがSFのサブジャンルだとみなされるのとまったく同じ理屈で、怪奇幻想小説も鬼っ子として隅に追いやられる傾向がある。ただ、レ・ファニュやラヴクラフトを読めば自明だが、総合的な完成度は何ら見劣りするものではなく、単にラベリングの弊害を受けているだけの話だ。「幻想と怪奇」誌(1973〜74年)の正嫡と呼べる「ナイトランド」誌もまた、2012年から13年にかけて7冊を刊行した後に中断を余儀なくされ、計画されていた「ナイトランド」叢書も頓挫した。けれども、2015年から版元を変えて雑誌タイトルに「クォータリー」を加え、みごと不死鳥のごとく復活を果たしたのだ。古典の新訳と最新作品の紹介、実力派日本人作家の投入をバランスよく実現しているのが素晴らしい。懸案の「ナイトランド叢書」も発刊を開始し、今回の対象期間内だけでもホジスン、ハワードが紹介され、翻訳文学の地図を塗り替えつつある。その志と勢いを買いたい。


ダン・ゲルバー、グレッグ・コスティキャン、エリック・ゴールドバーグ『パラノイア【トラブルシューターズ】』日本語版(New Games Order)
 会話型RPGとSFは、歴史的にジャンルとしての相互影響関係が根ざしている。にもかかわらず、本賞では軽視されてきた。しかも、翻訳作品をSF大賞に取り上げるのは趣旨に合わないと、あるSF作家クラブ会員から耳にしたこともある。だが、『パラノイア』は四半世紀もの間、この国において伝説のゲームとしてその名を轟かせてきた異色の作品であり、本年度、日本の業界的常識からすると型破りな販売形態で成功を遂げたダークホース。そんなハンディなどものともしない。というのも、ザミャーチン、ハックスリー、オーウェル、バージェスといったディストピアSFの内在的論理をルールシステムとして表現することに成功した傑作であり、SNSやドローンといった流動化する監視社会の現状を先取りしてもいるからだ。このゲームを知らずしてSFを語るのは、ちょっと恥ずかしいよ。(参考:「TH(トーキング・ヘッズ叢書)」No.63、田島淳氏のレビュー【監修は筆者】)