ミシェル・ビュトール講演会


 ずっと感想を書いていませんでした。『早稲田文学』2号のビュトール特集にたいへん感心していたのでした。
 石橋正孝の「ジュール・ヴェルヌで読むビュトール」もすばらしい。
 そんなわけで、5年ぶりにビュトールの『即興演奏』を再読し、未読だった『合間』も読んでみたら、もう得るものが多い。
 視界が開けていくような読書体験。閉塞感を感じない経験というのは最近(文学系では)あまりないのだった。
 また、昨年9月には、日仏学院ビュトールの講演会が行なわれたのですが、そのビュトール講演会の収録率の高さがいい*1。付録についているDVDは、日仏学院の講演の際に上映された映画です。


 ビュトール講演会のひとこま。さすがに雑誌記事では整理されていますが、会場では以下のようなやりとりだったように記憶しています。

来場者「ビュトールさんは、『ミラノ通り』、『時間割』、『心変わり』、『段階』と書かれてきて、その後いわゆる普通の小説を書くのをきっぱりやめて、手書き本や映像表現、エッセーなどに向かわれましたよね。それは、やはり時代に合わせて“ライトな”ものが必要になったからなのでしょうか?」
ビュトール「(即答)いいえ!」
会場「(どっと笑う)」
ビュトール「確かに小説を書くのはやめましたが、それ以上に厚く、複雑なものを書くに至りました。『モビール』、『ブーメラン』(※いずれも未訳)などです。それらは『レ・ミゼラブル』くらいの厚さがあります。いま、手書き本など軽いものを書いているのは、単に私が年老いたからです(※ビュトールは1926年生まれ)。でもはっきり言って散文は、『難しさ』が大事なのです。読者が読みに参加するという意味での『難しさ』です」

 ビュトールは、確かにビュトールでした。
 その魂、確かに見届けましたよ。
 ビュトールは非常に温和な感じでしたが、矍鑠としていたことは間違いありません。これで82歳!

即興演奏(アンプロヴイザシオン)―ビュトール自らを語る

即興演奏(アンプロヴイザシオン)―ビュトール自らを語る

*1:ちなみに、P62の質問者はわたくしです。