佐藤亜紀『ミノタウロス』文庫版の発売から、そろそろ1ヶ月が経過しようとしています。
- 作者: 佐藤亜紀
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/05/14
- メディア: 文庫
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それもそのはず、佐藤亜紀作品、特に『ミノタウロス』は、形式としての本格ミステリとは異なり、唯一の「正解」があるわけではありませんし、テクスト単体のみを射程に収めて「読み」を引き出すことを目的とした作品でもありません。
その意見の集積自体に価値があるのはもちろんですが、その経緯をふまえたうえで意義のあることをしたかったので、私が提示した問題について、細切れの時間を使い、オンライン・オフライン問わず、議論を重ねることを続けてきました。私としては、さまざまな知見を得ることができました。対話を行って下さった方に、厚くお礼を申し上げます。
ただ、一応の区切りは必要かと思い、現時点での、とりあえずの総括を行なってみました。
文庫版『ミノタウロス』発売直後からのTwitterでの応答
まずは、『ミノタウロス』文庫版の発売直後から、主にGhost Sound(Twitter)上にて、『ミノタウロス』をめぐるやりとりが交わされました。その記録を公開しておきます。こちらは、概して好意的に受け取っていただいており、ありがたく思います。
@tricken氏や@sorekara氏をはじめとした方々に興味深い知見をいろいろいただいております。
流すのはもったいないので、ブログにおいても紹介させていただきましょう。
@tricken氏のまとめ「佐藤亜紀『ミノタウロス』文庫版を読む」
http://togetter.com/li/21491
私がまとめた「『ミノタウロス』読書記録」
http://togetter.com/li/21987
また、はてなダイアリーでは、id:Ooh氏や、id:tatsumidou氏にも高くご評価をいただきました。ありがとうございます。
否定的な評価
続いて主として(解説に関する)否定的なニュアンスを含む反応をご紹介させていただきましょう。
意見を下さった方は複数いらっしゃいました。
主に対面やクローズドな環境において発せられた意見であり、書き手としての私を慮って下さったためか、端的に言って辛辣なものも含まれます。
ご意見はまず、素直に呑みこむとして、そのうえで岡和田がその傾向をいくつかの傾向に要約し、もし同様の思いを抱いておられる(かもしれない)方のための便宜としまして、そうした意見への応答を、一般性を有したレベルにまで整理したうえで、提示させていただきました。
質問の要約についての責任は岡和田にあります。また、言うまでもありませんが、質問者への個人攻撃を意図しているのではなく、あくまでも応答という意味で記した次第ですので、読まれるうえではご了承下さい(「これを言ったのは○○さんで〜」みたいなのも止めて下さい)。
また、自分の書いたものについての応答になるので、どうしても自己弁護臭が漂ってきてしまいますが、そのあたりは大目に見ていただけましたら幸いです。
意見:使われている言葉がむやみにわかりづらく、読むのに苦労するが。
応答:私の至らなさはさておくとしても、すらすらと読めてすらすら抜けていくものではなく、じっくりと考えてもらう、そのきっかけを与えられるような解説を目指しました。この解説は、作者とのお友だち関係を示したり、単純なモデルに嵌め込んで「傑作」と持ち上げるたぐいのものではなく(もちろん、そうしたスタイルの中にも面白い解説はあります)、私の思考過程を示すことで、読まれた方に考えてもらうことが目的なのです。ですから、「答え」を安易に規定するような真似も、なるべく避けるようにしました。
意見:解説が異常に長い。3行でまとめられるようなものにすべきではなかったか。これでは売れないだろう。
応答:きちんと『ミノタウロス』を語るには、どうしてもこれだけの長さが必要でした。それでも語り足りないくらいです。売れるかどうかは、私は批評のシーンにあっては、マーケッターではないので詳しいところはわかりませんが、必ずこのスタイルの意義が伝わるものと信じております。批評家生命を賭けてもかまいません。
また、3行でまとめたうえで、パパッと売りさばくという消費の仕方ほど、『ミノタウロス』への向き合い方と相反するスタイルはないでしょう。『ミノタウロス』は一過性のブームで終わってしかるべきテクストではなく、広く文藝の歴史のうえで、しかるべき位置を与えられ、長く人々に読み継がれるだけの強度を備えています。『ミノタウロス』を語るにあたり、3行でまとめてよしとするようなスタイルから外すという点は、残念ながら譲ることはできません。
もし3行でまとめられる文章が必要なのであれば、帯文や裏表紙の惹句をご参照いただければ早いかと思います。
意見:文章が『ミノタウロス』よりもこなれていない。自分の言葉で書くべきではないか。
応答:『ミノタウロス』の文章より私の文章が劣るのは当たり前です。謙遜ではなく、解説は本文をサポートするものであり、いわば『ミノタウロス』に従属する、あるいは奉仕する類のものだからです。
それをさておくとしても、今回の解説は評論というスタンスを取っているので、自ずから、小説の文体とは異なります。また、この文体は、読み手の思考を異化することを目的としており、加えて、小説の本文と解説では、言葉の機能する方向性も異なります。
そして批評の言葉は常に作品に依拠するので、素朴な「自分の言葉」という観念は成立しえないのではないでしょうか。「自分の言葉」という時、その「自分」を成立させているものは、どこにありますか。そのレベルの考察こそが『ミノタウロス』には必要ではないかと考えております。
意見:P.364の作品列挙は、解説者の「売らんかな」精神が透けて見えて腹立たしいが。
応答:それは穿ちすぎというものです。幅が広がった近年の佐藤亜紀氏の活動を示すためには、『バーチウッド』の翻訳と、『小説のストラテジー』についての言及は不可欠だと考えております。『ミノタウロス』は批評的なテクストですが、その背後には、こうした作品との見えない連携もまた存在すると、私は考えています。
意見:なぜ『バルタザールの遍歴』や『天使』や『鏡の影』への言及があるのか。『ミノタウロス』の解説だからして、『ミノタウロス』内の文章についてのみ、語るべきではないか。
応答:作品史を参考にすることで、作風の変遷を追いかけてテクストのダイナミズムを取り出すことは、文藝批評におけるごく基本的な切り口です。むしろ『ミノタウロス』は、間テクスト性を経由したうえで、テクストそのものへ立ち返り、「読み」に噛ませることが前提のテクストだと私は理解しております。
意見:ミハイロフカについて語った後に、架空の地名だという言及がなされ、わかりづらい。まず最初に架空と断っておくべきではないか。
応答:『ミノタウロス』は小説ですが、ある意味、歴史書以上に、歴史の真実を捉えています。ロシア革命の影響下の歴史叙述においては、往々にして、歴史の変動に伴う暴力を捉えることができずにおりました(長谷川毅『ロシア革命下ペトログラードの市民生活』、「はじめに」)。小説という形でしか捉えられない歴史の真実もあるのです。そのうえ、私たちは『ミノタウロス』を、小説という形式を介して、歴史を感性的に捉え直したスタイルとしても理解しなければなりません。
かような前提があるため、架空の地名の考察に導く思考の過程こそが、まずは求められるものと判断しました。一足飛びに結論を暗記する、受験勉強的なスタイルとは違うのです。しかし、参考にした歴史書の名前はわざと省きました。まずは小説としての歴史認識に立ち合っていただきたいと思ったからです。ぜひ、バーベリの『騎兵隊』や、ブルガーコフの『白衛軍』を読まれてみて下さい。
意見:P.380でネタバレをしている。解説から先に読む人への配慮がないのではないか。
応答:私はここはネタバレだとは思っていません。作者自身、「ネタバレ」を大事だと思っていません(参考:http://twitter.com/tamanoirorg/status/9779854744)し、『ミノタウロス』はそんなに単純な作品ではありません。
モーリス・メルロ=ポンティは、クロード・シモンの『フランドルへの道』を「意識のスクリーン」として語りました。ある特定の歴史的事象と自らの体験を、スクリーンの上に多重投影するかのような視点で複合的に捉え直すこと。その視点は『ミノタウロス』にも通じるものがあり、むしろ結末からさかのぼることで、『ミノタウロス』の叙述の特異性とその意義を知ってほしいと思ったのです。
意見:ティタン神族の一員のパシパエを母に持つのに、なぜミノタウロスは「死すべき定めの人の子」なのか。
応答:「死すべき定めの人の子」にはモータル(Mortal)とルビを充てており、不滅者としての神々を意味するイモータル(Immortal)と対置される存在として解説しているからです。
ティタン神族は、オリュンポス神族の有する支配性を欠いているため、「神」という側面よりも、「人」という側面をより多く分有していると解釈しました。ペルセウスならばその反対に、「半神」(Demigod)として語られるべきでしょう。
意見:歴史背景の解説くらいしか得るものがなかった。それならば、むしろ歴史の専門家に依頼したほうがよかったのでは。
応答:ご満足いただけなかったのは残念です。しかし、まずご依頼を聞いた際に、歴史の専門の方に書いていただいて、それで私が書くよりも素晴らしいものができたのだったら、ぜひお譲りさせていただきたく思ったことを告白しておきます。専門家というものは、専門の重要性をよく理解しています。領域の横断には慎重です。可能な限り慎重に振る舞うことでしょう。だからこそ、失われてしまうものもまたあります。歴史の専門家が文学の専門家だとは限りません。文学の専門家が神話の専門家だとは限りません。さらにはひとえに文学といっても、二〇世紀ロシア文学と、現代の日本文学を取り巻く感性や環境には拭い難い差があります。『ミノタウロス』をロシア文学の専門家が語っても、ロシア文学の専門家であるがゆえに、落ちる部分が生まれてくる可能性は常にあります。
それゆえ私のように、アカデミックな環境に属していない批評家の強みは、専門の重みを、良い意味で在野(生活者)の野蛮さで乗り越えてしまえるところであり、『ミノタウロス』という大作へ向き合うためには、成功しているかはともかく、そうした良い意味での蛮性を発揮することが求められているのではないかと判断した次第です。小説は、単なる空の箱ではないので、生活者としての視点を差し入れることが不可欠なのです。逆を言えば、だからこそ、文学は不当に軽んじられてきました。
ある人が言っていましたが、本当に心ある経営者を育てたいのであれば、むしろロシア文学を学ばせたほうがよいのではないか、とすら私は考えています。
psgaba氏との対話
続いて、同じくGhost Sound(Twitter)ですが、やや時間帯を空けてGhost Sound(Twitter)上で@psgaba氏が5/28の4:00頃につぶやかれた文句が、かなり深いところにまで突っ込んだものありました。
時期を逸してしまい、Togetterでうまく把捉できないので、そのやりとりを整理し、ここにまとめさせていただきます。
Twitterのツィートという性質上生まれた投稿時間などの余分な情報は、読みやすくするために省いてあります。
また、@psgaba氏が敬語を使っていないのは、当初は岡和田が応答をしかけるとは予想もされていなかったようです。
突如絡まれてしまった@psgaba氏には諦めて下さいとしか申し上げられませんが、私としては、同氏とのやりとりは非常に啓発的なものでした。
このレベルのやりとりができるのであれば、解説を書いた甲斐があるというものです。
なお、psgaba氏の言葉の多くが「である」調で、私が「ですます」調なのは、もともと氏が対話ではなくツィートという形で話しておられ、そのツィートに対してしばらくのタイムラグを空けてから私がまとめて応答をしているという形式のためです。あらかじめご了承下さい。
psgaba氏:佐藤亜紀『ミノタウロス』文庫版、岡和田晃さんの解説が評判通りの力作。冒頭の語りに着目しているのは慧眼だと思う。
岡和田:ありがとうございます。
psgaba氏:冒頭の土地を手に入れるくだりでは、人名が一切使われず、人称代名詞で済まされている。これによって人物たちはどこか厚みを欠いた影絵のような存在になってはいないだろうか。
岡和田:色彩のトーンにもある程度、変化はあったと思います。
psgaba氏:親しくもない人間が大農場をただで(正確には子供払いだが)譲ってくれるという荒唐無稽な出来事には、現実感の希薄な語りが要求されるのだと思う。あえて語りの情報度を下げているというか。『小説のストラテジー』のディエゲーシースの章と併せて読んでみたくなった。
岡和田:そのような考え方もできますが、ここはドストエフスキー(例えば『悪霊』)の本歌取りという側面もあったという気がしています。
psgaba氏:支配の固定化=時間の停止という構図には全面的に賛成するが、キエフ以後も回想だと思う。イワンに言及しているところを読むだけでも、そう判断できる。
岡和田:ここは迷ったのですが、私は一次大戦の勃発によって変化を強要された「語り」の周囲に生じる、文脈の断絶を契機としました。だからキエフを転換点にしています。判断の根拠は『バルタザールの遍歴』の「いくらも経たぬうちに戦争が始まった」のという箇所です。
psgaba氏:時間が動き出すのは第二章、顔を負傷した兄――いやでも牛頭人身の怪物を連想せざるを得ない――が帰還してから、ヴァシリの人生で戦争が明確な姿を現してからだと思う。第一章では、ヴァシリにとって戦争はまだ他人事だった。
岡和田:それもあると思います。出発点を「家」に置けばそうなるでしょう。ただ、私は読解にあたり、なるべく時代背景に重きを置きたかったのです。
psgaba氏:ヴァシリが信頼できる語り手という考えは面白かったが、賛成はできない。マリーナに関しては、テチヤーナの言うとおり嘘つきなのだ。
岡和田:これはわざと逆説を弄しております。嘘つきというか、哀しいまでにヴァシリは知識人なんです。いや、ほんとヴァレリーの『テスト氏』みたい。あるいはホフマンスタールの『チャンドス卿の手紙』。
psgaba氏:マリーナと始めて会った時の「気に入らなかった」の連打なぞは、もう、語るに落ちたとでも言うしかない。ただ知能は高くてもけだものという認識は正しいと思うし、そのような自己認識が可能なのだから概してクレバーな語り手ではあると思う。
岡和田:ここは同意なんですが、それもたぶん18〜19世紀小説の常套句なのではないかと思います。私はバルザックや、サッカレーの『バリー・リンドン』の後半部を思い出しました。ただ、現代文学において、語り手はむしろ信頼できないのが基本なんです。みんな、それを前提で読んでいる。文学に限りません。たぶんネットの文章を読むときも、半分くらい相手を値踏みしながら読んでいるのではないでしょうか。そうした状況において、信頼できる位相とはどういうものかを考えた、ということなんです。
psgaba氏「信用できない語り手」という用語を出している時点で、岡和田さんがそのような視点からの読みも検討したとは思っていましたので、わざと逆説も納得です。できれば解説で「信頼できる位相」にまで踏み込んで欲しかったです。
psgaba氏:岡和田さんに示していただいたヒントにそって、また再読してみます。ご教示ありがとうございました!
余談・岡和田:応答しているうちに、『バルタザールの遍歴』のどこがドイツ・ロマン派なのか考えていたが、ひとつ仮説を思いついた。10年も前に読んだのですっかり忘れていたが、フケーの『ウンディーネ』にベルタルダという人が出てきた。 これかも(たぶん違う)
『騎兵隊』、『白衛軍』への感想
また、最後になりましたが、id:wtnbtさんが、バーベリの『騎兵隊』と、ブルガーコフの『白衛軍』の感想を書いて下さったので、併せて貼っておきます。
どうぞ、ご参考になさって下さい。
・『騎兵隊』
http://d.hatena.ne.jp/wtnbt/20100603
・『白衛軍』
http://d.hatena.ne.jp/wtnbt/20100604
世界の文学〈第28〉ゴーリキイ,バーベリ (1966年)どん底・幼年時代・他短篇・騎兵隊
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- 作者: ミハイル・アファナーシェヴブルガーコフ,МихаилАфанасьевичБулгаков,中田甫,浅川彰三
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