川勝徳重「夢応の鯉魚」および「道成寺」へのノート

 学習院大学大学院の夏目房之介ゼミの方々で編纂されたコミック評論の雑誌「三角星」の創刊号、および第2号を、川勝徳重さんからご恵贈いただきました。これらの号には川勝さんが短篇劇画を寄稿なさっているのです。


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 川勝さんはセミ書房の「架空」、北冬書房の「幻燈」といった雑誌に度々登場し、(貸本時代の)水木しげるつげ義春つげ忠男林静一・安部愼一らの衣鉢を継ぐ気鋭の劇画家と目される方で、21歳とはとても思えない画力とセンスに驚嘆させられます。川勝さんの知遇を得たのはまったくの僥倖でしたが、彼の単行本『十代劇画作品集』には驚かされました。現代日本のコミックをめぐる状況をわずかでも知っていれば――多言を費やすまでもなく――川勝さんが採用したような作風の選択そのものに、強い批評性が宿っていることがわかるはずです。
 「三角星」に話を戻しますが、「三角星」の創刊号は杉浦茂特集でした。この時点で、意表を付かれました。超時代的な眼差しを獲得することで、コミックを論じるうえで最も大きな障碍となる、(言ってしまえば下世話な)「売れた/売れない」という短期的なパースペクティヴを越えた評価軸の獲得が志向されていることがわかります。
 川勝さんはその創刊号に『雨月物語』を題材にとった「夢応の鯉魚」、および第二号に「道成寺」という力作を寄稿されています。「夢応の鯉魚」は、主人公の興義という僧が鯉に変身し泳ぎまわるところの、のびのびした描出とでも申しましょうか、それが心に沁みました。そもそも、コミックを語るうえで「描写」や「表現」という言葉は最大のビッグワードであり、それを軸にして安直に何かを語ったつもりになることは、厳に慎まねばならないとすら私は考えておりますが(言葉が常に“後追い”となるので、その限界を意識せよということです)、「夢応の鯉魚」の場合は、拡散されてしまったビッグワードのダイナミズムを再帰的に呼び戻しているように見えます。つまりは読者の視点が鯉の運動性へと自然に落とし込まれるという意味で、その禁欲ぶりに「新しさ」を感じた次第なのですが、これが「道成寺」となると、「夢応の鯉魚」でのびやかに語られていた「夢」と「現実」を解体する暴力性そのものが、狂女の業を通して焦点化されてきます。「夢応の鯉魚」での「変身」と「道成寺」での「変身」の描き分けの妙を見れば、川勝作品の批評性が単にコンセプチュアルなものに留まらないことがわかりましょう。
 現在、川勝さんは、藤枝静男の「妻の遺骨」の劇画化(!)を試みておられるようで、その表紙絵も同封いただきました。特に作家の表情と仏像の対比が素晴らしい。藤枝静男の「顔」が湛える“思想”は、『空気頭』を引くまでもなく、茫として捉えがたいものですが、その性質をうまく描出できていると感じます。

藤枝静男随筆集 (講談社文芸文庫)

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