第40回日本SF大賞推薦文

 岡和田晃日本SF作家クラブ会員として、次の5作品を第40回日本SF大賞にエントリーしました。以下推薦文となります。こちらにも内容を記しておきます。

 


図子慧『愛は、こぼれるqの音色』

 図子慧の『アンドロギュヌスの皮膚』以来6年ぶりの単著である。ポスト・サイバーパンクSFと本格ミステリの論理をそれぞれ融合させ、性愛と音楽という、文章では直接的に表現しづらい題材をきわめて技巧的に伝えている。惹句を踏襲するわけではないが、とかくSF界は図子慧へ的確な評価を与えることができずにいたのは間違いないだろう。例えばSF大賞で評価軸として求められる「新しさ」を、一見したところの新規性と短絡的に解釈することで――本作が体現するような――綾なされる襞の部分を取り逃してきたのではないか。過去の受賞作に比して、水準的にも何ら見劣りしないものと確信する。

 

仁木稔「ガーヤト・アルハキーム」

 仁木稔、『ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち』以来5年ぶりの新作小説となる。本来であれば、『ミカイールの階梯』で日本SF大賞どころか世界幻想文学大賞をとっていても決して驚かない。本作は著者の未来史〈HISTORIA〉シリーズとは独立した短編であるが、長編並みの密度がある。イスラーム神秘主義をめぐる錬金術ファンタジーという体裁をとっている。だからといって、史実に従属するわけでも、歴史修正主義とも異なる。むしろ史実の捉え方、パラダイムそのものを刷新しようという野心があるのだ。仁木稔のブログで記された作家自註を参照すれば、私が何ら「話を盛って」いないとわかるだろう。

 

松本寛大「ケルトの馬」
 リバイバル・ブームが続く『クトゥルフ神話TRPG』の日本語版スタッフとして知られる著者の久方の新作小説は、同シリーズの『クトゥルフカルト・ナウ』の設定とも一部リンクする幻想短編だ。作家の『玻璃の家』、『妖精の墓標』は、島田荘司流の認知科学とミステリの融合のアップデートがSF史的に見てもユニークだったが、そこで語られた現実と幻想の断層が、「ケルトの馬」ではブレグジットテロリズムという現代の状況に噛み合わされ、多角的な解釈を可能にしている。作家はミステリ評論も精力的に発表しているが、そこで培われた批評性が表出されている。SF大賞はもっと幻想短編を顕彰すべきとの提言を込めて、ここに推薦する次第だ。

 

シャドウラン 5th Edition』(ゲーム)、ジェイソン・M・ハーディー著、朱鷺田祐介シャドウランナーズ訳

 現代SFのあり方を論じるにおいて、ゲームで培われた豊穣な文脈を無視することはできない。1989年の初版以来、『シャドウラン』はミラーシェード・グループが培ったサイバーパンクの原風景を、ゴシックファンタジーと融合させることで、ゲームの世界観をそのまま、現代のレイシズムへの批判とする離れ業を見せている。かのケン・リュウが愛好したというのも頷ける話だ。最新第5版は、フルカラー・ルールブックに収められた旧版のイラストギャラリーが示すように、集大成といった趣がある。だが、圧倒的なボリュームにもかかわらず、プレイアビリティはグンと向上している。旧版がSF大賞の候補にすら上がっていなかったのが不思議だが、改めて日本のSF文壇が『シャドウラン』を「発見」することを強く期待する。

 

『幻想と怪奇の英文学III 転覆の文学編』(評論)ローズマリー・ジャクスン著、下楠昌哉

 ナンバリングタイトルだが独立した一個の評論書。英語圏ではフィクションの幻想性を研究するうえでの基本書として定着している本作が、ようやく全訳された。ジャクスンは本書で、リアリズムの覇権を打ち砕き、破壊し去るために、複眼的な混乱こそを重視し、その際に含まれる政治性に着目する。例えば『フィーメール・マン』のジョアナ・ラスを引くことで、あるべき仮定的な現実をも否定の形で提示するジャクスンの視点は、今のSFがもっとも欠いているものだ。近年、残念なことに少なからぬSF関係者が反フェミニズムの帰結としての「女叩き」の旗を振り、惨憺たる政治的現実を追認し強化しようとしている。そうした残念な文脈とはまったく異なる、ゴシックでパンクな道筋を示した礎として重要だ。

 

※過去、受賞歴のある作家については外しました。 

 

 また、渡邊利道さんが『掠れた曙光』を、吉里川べおさんが『傭兵剣士』を、それぞれ推薦してくださいました。ありがとうございます。