ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』


 そもそも、20世紀とは何だろうか。20世紀的なものとは何かを語るならば、まずは時代そのものが何であるのかを知らねばならない。しかしながら、どうすればよいのか。
 グローバリズム多文化主義がせめぎあう現代において、何が本当に20世紀的なのかを語ることには、相応の危険が付き纏っている。「虐殺」の世紀としての20世紀という側面だけを取り上げてみても、そこには表象行為を根底から否定するだけの重みが宿っている。
 これは必ずしも、伝統による重みではない。伝統の終焉を見越したうえでの、重みなのだ。


 ヴァージニア・ウルフモダニズムを代表する文学者だと言われる。
 ここで言うモダニズムとは、近代の「終わりの始まり」としての20世紀、という意味だ。なるほど、彼女はそれまでの文学を、過度に物質主義的だとして批判した。ベネット、ゴールズワージー、ウェルズ、そしてかのジェイムズ・ジョイスまでがその糾弾の対象となった。彼らは人生の真実を描ききってはいない、とウルフは語る。彼らは、「精神をうち忘れて肉体のみにかかずらう物質主義者」だと切って捨てるのである。
 「作家が奴隷ではなく自由な人間であり、書かねばならぬことではなく、書きたいことを書こうとするならば」、と彼女は言う。「意識のはじめから終わりまでわれわれを取り巻く半透明の包被」である人生を、「できるだけ異質のものや外面的なものを入り混ぜないで伝達」可能な「精神的」存在である必要があるのだ。


 このように、彼女は人間の心理に関心を寄せる。神は死んだ。世界のどこへ行ったとしても、ものはものでしかなく、いるのは人間以外の何ものでもない。もはや人間は、人間の他に関心を寄せることができなくなった。
 ウルフが小説という形で描き出すものは、そんな「無神論者の宗教」だと言っていいだろう。そして、それは20世紀という分裂症的な時代の様相を、はからずしもある種の側面から浮き彫りにしている。


 元来、芸術によって表象される世界と、世界そのものが一致するものと認識されることは稀だった。そしてそれは、いわゆる古典古代においてのみ、存在が可能なものだった。
 古典古代とは、本質的に言えば、何ら諧謔味を籠めることなく、時代精神を、芸術家が作品として提示することができる時代とされていた。多くの思想家によって古典古代として憧憬されるのは古代ギリシアであるが、ギリシア人が産み出した「悲劇」によって諸悪の根源として槍玉に挙げられるのは、「運命」である。断じて社会ではない。


 しかし、時代が下り、古典古代がひっそりと幕を閉じてから、芸術家はしばしば、人間と社会との対立を再現するようになった。いや、芸術家が自己の固有を芸術を再現しようとすれば、半ば必然的に社会と対立せざるを得なくなった、と言った方が的確であろう。
 そして、20世紀に入れば、そのような手法自体が欺瞞的なものとなった。もはや芸術家は、彼らの嫌いな世界を正確に表現することで、自分たちと意見の違う社会体制を批判するという、奇妙な状況に陥ることとなった。


 『ダロウェイ夫人』は日常生活を神話化した小説である。作品内では、典型的な有閑階級に属する夫人であるところのクラリッサ・ダロウェイの、ごく平凡な一日が描かれる。1923年6月のある水曜日。彼女は夜に開く予定のパーティに使う花を買いに行き、ロンドンの街をさまよい、夜会で総理大臣を送り出した後に、昔の求婚者であったピーター・ウォルシュと出会う。
 この僅か12時間ほどの間の出来事が、作品内で描かれる全てである。しかしながら、そこで描かれる人物の内面が発展していくさまは、はからずしもひとつの教養小説を読むがごとく、波乱とドラマに満ちている。


 登場人物には、ウェストミンスターに住む下院議員夫人、クラリッサ・ダロウェイ。5年ぶりでインドから戻ってきたピーター・ウォルシュ。クラリッサの一人娘エリザベスと、その家庭教師キルマン。この一連の流れがある。対するに、一次大戦の後遺症で精神錯乱に陥った、「後に自殺する」セプティマス・ウォレン・スミスが置かれ、そして、精神科医であるブラッドショー、という流れが並べられる。
 これらは必ずしも対照的に描かれているわけではないが、その示すところには、示唆的な何かが根付いている。


 ウルフ自身、モダン・ライブラリー版への自序(1928年)において、「のちにミセス・ダロウェイの分身として意図されることになるセプティマスは、第一稿においては存在していなかった。ミセス・ダロウェイはもともと自殺するか、あるいはたんにパーティの終わりに死ぬ予定であった」と述べている。
 すなわち、セプティマスの自殺がなければ、死ぬのはクラリッサ自身であったというのだ。


 しかしながら、ウルフはその前の文章で、こうも言っている。「『ダロウェイ夫人』についていま明るみに出せるのは、重要性がほとんどない、あるいはまったくない、二、三の断片的事実でしかない」と。


 この言葉をあえて間に受けるならば、セプティマスの死は、ダロウェイ夫人の生死そのものを左右するにもかかわらず、重要ではない、ということになる。
 すなわち、重要なのはクラリッサ・ダロウェイの死そのものではなく、ダロウェイ夫人を取り巻いて離れない、観念と現象とが、結果的に捩れながら合一した〈死〉そのものである、と言えるだろう。
 そして、この、生と死の極限に位置する視座こそが、『ダロウェイ夫人』を傑作たらしめている最も大きな原因に違いない。


 『ダロウェイ夫人』のテクストは、静謐な美しさに満ちている。
 このような小説美学を形成するにあたり、舞台となっている6月のロンドンの気候風俗や、クラリッサが開くパーティの華やかな描写も大きく寄与していることは、疑いようがない。しかしながら、もっとも美しいものは、登場人物が意識の流れによって不意に接近する、世界の根源的な姿にほかならないのである。


 屋敷に帰り、レズビアン的な愛情を抱いていたサリーへの熱情を思い出したクラリッサは、その興奮を思い出し、昔の自分を、冷めた視点から懐かしむ。
 もはやその感情は、回想を交えた甘美な諦めに近いが、同時に、その状態を愉しむことのできるいまの境遇への健やかな愛も、そこには確かに内在している。



  だけど、いまのわたしにとってその言葉はまったくなんの意味もない。昔の感情の反響さえ伝わってこない。でもわたし はおぼえている。興奮のあまり全身が冷たくなったこと。一種の恍惚感のなかで髪を整えたこと(いま彼女はヘアピンをと り、それを化粧台のうえに置き、髪を整えはじめたが、そうするとしだいに昔の感情がもどってくるのだった)。ばら色の 夕暮れの光のなかでミヤマガラスが舞い上がり舞いおり、ひるがえるように飛んでいたっけ。そして正装して、階下におり、玄関ホールを横切ったとき、「いま死ねば、このうえなく幸福だろう」と感じたのだ。それがわたしの感情だった―― オセロの感情が。シェイクスピアがオセロに感じさせようとしたのと同じほどの強烈さで、たしかにそう感じた。そしてそ れはひとえに、夕食の食卓で、白いドレスを着て、サリー・シートンに会えるという理由からだった!〔『ダロウェイ夫人』p.52〕


 しかし、彼女はふたたびサリー・シートンに遭っても、そのような思いは抱かない。それは、かつての自分への嫌悪の情から来るものでもなければ、今や首尾よく紡績工場長の妻としておさまった友人を、心の中で馬鹿にしているのでもない。
 彼女はただ、過ぎ行く眼前の「瞬間」に対して、自身の感情を捧げているだけなのである。そしてその「瞬間」は、まさしく〈死〉と紙一重である。



 おそらく捧げ物のための捧げ物だ。とにかくそれがわたしの天賦の才能。ほかにはどんな些細な才能もまるでない。考えることも、書くことも、ピアノを弾くことさえできない。アルメニア人とトルコ人をとりちがえ、成功を愛し、不快を嫌い、人から好かれなければ承知せず、ばかばかしいおしゃべりを延々とつづける。この年になってもまだ赤道がなんなのかもわからない。
 それでも一日の終わりにはつぎの一日がつづいてゆく。水曜、木曜、金曜、土曜と。朝になってめざめ、空を見、公園を歩き、ヒュー・ウィットブレッドと出会う。それから不意にピーターが訪ねてくる。それからあのばらの花。それでじゅうぶん。こういった一日の出来事のあとでは、死が、こういったことに終わりがあるなんて、とても信じられなくなる! どれほどわたしがこういったもののいっさいを愛しているか、世界中の誰にもわからないだろう。どんなに一瞬一瞬を愛しているか……〔『ダロウェイ夫人』p.168〕


 クラリッサ・ダロウェイは、「瞬間」を、いま現在を心から愛している。そして、その危険性をも十分に知っている。だからこそ、彼女は「瞬間」を飾り立てる。これは単なる享楽主義ではなく、何が正しく、何が間違っているのかを、経験によって否応なしに知らされ尽くしたうえでの虚飾である。
 もはや彼女は神を信ぜず、神の名を借りた特定のイデオロギーを崇めはしない。彼女は、醜い現実を醜いまま受け入れ、そこに無辜の美を見出す。無限なものなど何一つありはしないし、絶対的に正しい物もまた存在しない。すべては流れゆくが、流れゆくものこそが唯一の真実である。
 日常のほんの一瞬、不意に、常ならざるところにこそ求める何かが根付いているという真実を悟ってしまうこと。それこそが「終わりの始まり」であり、ウルフのテクストが、どうしようもなく20世紀的なものとなっているのは、まさにこの点にこそ由来する。

ダロウェイ夫人 (集英社文庫)

ダロウェイ夫人 (集英社文庫)