『ヒーローウォーズ』プレイリポート「太陽の金色の林檎」


 映画や小説など他の芸術ジャンルとRPGとの違いを考えた際に、やはり際立った特徴となるのが「背景世界」なのではないか、と僕は考えています。
 RPGは、物語構造と完全に切り離したうえで独自の設定を構築していくことが可能なジャンルであり、設定の持つ特性や手触りのようなものを尊重したうえで、現実世界とはまた異なった、その世界固有の因果律を有した世界観を構築していくことが可能となっています。イメージや幻想性を活かしながら、そのうえで人間が生きて動いて、ドラマを乗せていくことのできるような背景世界が存在しうるところに、RPGならではの楽しさは根づいていると言えるでしょう。


 これは片方にSFや幻想文学、もう片方にウォー・シミュレーションゲームを「親」として持つ、「RPG」の特性なのですが、こうした「設定の面白さを伝えていくこと」は、僕の大事なテーマの1つで、『R・P・G』Vol.4(国際通信社)の「地図」特集に書いた記事の根底にも、もちろんこうした問題意識が横たわっています。


R・P・G vol.4―本格派アナログゲーム情報誌

R・P・G vol.4―本格派アナログゲーム情報誌


 さて、RPGならではの世界観と言えば、やはり「グローランサ」世界は外せません。
 「グローランサ」とは、『ルーンクエスト』という非常に優れたRPGの中心として用いられた世界観(デザインはグレッグ・スタフォード)ですが、各種神話や歴史を丹念に調べながら、それらをRPGに取り入れるにあたり、どうしたら原典の「味」を殺さずオリジナルなものへ昇華できるのかが、具体的な形で示されているところに、その面白さがあります。


 Wikipediaの『ルーンクエスト』にある「グローランサ」の説明が素晴らしいので引用します。

 グローランサは多くのファンタジーRPGが持つような「指輪物語の亜流のような、中世ヨーロッパを模した世界」とは大きくイメージが異なる非常にユニークな世界である。グローランサは様々な要素を渾然一帯と持つ世界であり、そのイメージを一言で語ることはできない。世界の詳細な解説はグローランサの項目にゆずり、ここではグローランサテーブルトークRPGのゲーマーにとって魅力的に写るとされる要因について解説する。


 一般的なRPGでは、架空の神格はその司る力や教義が定められ、信仰する聖職者に対して与えられるゲーム上の特典がデータ化されるといった程度にとどまるものが多いが、グローランサにおいては、神格にまつわる様々な神話的エピソードが付与され、その神話的エピソードと絡めて、他の神格との対立・協力関係なども定義されていく。


 例えば、嵐のパンテオンの主神オーランス(Orlanth)については、太陽の皇帝イェルム(Yelm)に対して天宮の支配権をめぐって舞踏、魔術、音楽で勝負を挑むが、いずれも勝負はイェルムの勝ちと判断されたという。その後、オーランスはイェルムを弑逆し、神々の王の地位を手に入れるが、世界は暗黒に包まれ、オーランスとその仲間たちは冥界に下って、イェルムを復活させる探索に乗り出すことになる。


 前者は日本神話においてスサノヲのアマテラス(奇しくも同じ嵐神と太陽神の組み合わせである)に対する暴虐が世界の暗黒を招いたエピソードにも通じるし、後者はギリシャ神話のオルフェウスや日本神話のイザナギによる冥府行に類似している。これらは、特に日本神話などの特定神話を元にしているというよりは(作者のグレッグ・スタフォードは特に日本神話には詳しくないという)、人類に共通する神話的モティーフを拾い集めて結合した結果であるといえる。


 こうした神話的挿話は、細部について異なったバージョンが流布されており、場合によっては(意図的に)相互に矛盾するように記述されている。前述のオーランスとイェルムとが争うエピソードについても、それぞれの神を主神とする民族の立場に偏った神話が存在する。これらは全て、現実世界の神話や伝承に近づけて、よりリアリティを増すための工夫であろう。これが行き着いたところが『グローランサ年代記』であり、グローランサの住人が書いたという体裁を取った架空の歴史書として出版されたが、この作品も他の資料との記述の矛盾などから、(グローランサ世界における)偽書ではないかとの見解が示されるなど、ユーザーサイドも巻き込んだ架空神話体系の展開が広がっている。


 また、基本的にプレイヤー・キャラクターの信仰する側の神であるオーランスなどが、単純で一面的な正義の神として描かれていないのも特徴的である。オーランスを信仰する人々は歴史上のゲルマン人のような蛮族であり、オーランスはその民族神であって、数々の英雄的活躍はこなすものの、太陽神の弑逆に見られるように乱暴で無思慮な神として描かれることも多い。しかし、その神の性格はそのまま、彼を信仰する蛮族たちのライフスタイル、理想の男性像を反映しているとも言える。


 こうした複雑で魅力的な信仰体系に加えて、敵役として、ローマ帝国を髣髴とさせる巨大帝国(ルナー帝国)を配置して奥行きを増している(グレッグ・スタフォード氏はそのモティーフをサーサーン朝ペルシャであると語っている)。


 現在、『ルーンクエスト』本体(日本語で読めるもの)は入手困難ですが、幸いなことに、『ルーンクエスト』と同じ「グローランサ」世界を舞台にした優れたシステムである『ヒーローウォーズ』が、現在でも入手可能となっています。

ヒーローウォーズ―英雄戦争 (TRPG series)

ヒーローウォーズ―英雄戦争 (TRPG series)

 メイン・デザイナーとして、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』や『ウォーハンマーRPG』に関わっているロビン・ロウズが据えられたこの『ヒーローウォーズ』は、どちらかと言えば数理的なシステムより導き出されるリアリズムがテーマとなっていた『ルーンクエスト』に比べ、より叙事詩的な、それこそ『イリアス』や『アルゴナウティカ』などで描かれるような冒険が行ないやすくなっています。
 現にシステムは極めて軽いながら柔軟なもので、それこそ叙事詩においてスポットが当てられるような「剣戟と歌唱の対決」などが自然とできるようになっています。
 加えて、ユーザーのイメージを駆り立てるような神話の原石が、あちこちに散りばめられているのが『ヒーローウォーズ』の特徴と言えます。システムが、ユーザーのイマジネーションを重視した運用を求めるRPGとして、これほど面白いものもそうないでしょう。


 ここで興味深いのが、『ヒーローウォーズ』が、過去の叙事詩を徹底的にリサーチし、それらのパターンを分析することでデータベースを作成し、誰でも叙事詩を取り扱えるようにするという方法を、あえて「取っていない」ということです。
 率直に言えば、『ヒーローウォーズ』は汎用的に叙事詩を扱うゲームとは違うのです。
 

 『ヒーローウォーズ』は「グローランサ」世界の魅力の再現のみに特化したシステムであり、ルールの記述それ自体に、「グローランサ」が有する不可思議な魅力があちこちに散りばめられた仕様となっています。
 ユーザーは与えられた餌をただ食べて満足するのではなく、あれこれ試行錯誤を繰り返しながら、神話の原石を自分の力で拾い集め、それを元に、オリジナルな叙事詩を構築していくというわけです。


 「ロールプレイングゲームは所詮、何か流行りものの二次創作」という悪口を言う人がいます。ただし『ヒーローウォーズ』のシステムには、こうした批判は当て嵌まりません。
 なぜならば、『ヒーローウォーズ』の提示しているものは、あくまで半組みの物語でしかなく、その物語はユーザーの手によって初めて「完成」するものだからです。そして、完成した物語は、安っぽい「どこかで見た話」の反復ではなく、「どこかで見た話」でありながら、まったくオリジナルな手触りを持ち、『イリアス』や『アルゴナウティカ』に顕著な古代の叙事詩が有していたダイナミズムを確かに懐胎するものとして仕上がります。


 こうした『ヒーローウォーズ』のシステムについては、こちらのサイトの解説が、非常に充実しています。
 また、『ヒーローウォーズ』を楽しむためには、デザイナーのグレッグ・スタフォードが著した『グローランサ年代記』は外せません。『グローランサ年代記』は、「グローランサ」という架空世界をさながら学術的ともいえるほど精緻に紐解いた書物です。それでありつつ、歴史学なテクストに必須とも言える相対化の視点も忘れていません。
 収録された史料はあくまでも「オーランス人の視点」や「ダラ・パッパ人の視点」、それぞれの観点から記されたものであり、時には相矛盾する記述や、自分たちの歴史を正統化する視点が垣間見えるものとなっています。これら、史料の海を細かく検討していくことで、単線的な記述からは窺い知ることのできない、深みをもった世界観を読者は堪能することができるのです。さながら歴史家や、神話学者のように。

グローランサ年代記

グローランサ年代記


 さて、長くなりました。
 この『ヒーローウォーズ』、Web上ではプレリポートがさほど上がっていなくて寂しいので、『ヒーローウォーズ』の基本ルールブックに記された情報をもとに考えたシナリオのプレイリポートを、ここに載せておきましょう。『ヒーローウォーズ』は、きちんと遊べるゲームなのですよ。
 拙いものですが、どうぞご覧になって下さい。



ヒーローウォーズ』プレイリポート:「太陽の金色の林檎」


〈登場人物〉


リューブ/フマクトを信仰する戦士。
モントー/法の語り部。ランカー・マイの信徒。
ゾーラム/オディラを信仰する狩人。
リーギル/猫の神インキンの神凪。


ラドン/デシュルゴスの司祭。
フィリエル/伝説のブラウン・エルフの乙女。

 
〈ストーリー〉


 グローランサはジェナーティラ大陸のドラゴン・パス地方、そのほぼ中央部に位置するアップル・レーンの南に霜林檎の村はある。死と戦の神フマクトを信仰する戦士リューブ、知恵の神ランカー・マイを崇める法の語り部モントー、狩を司る神オディラを信仰する大家族の主ゾーラム、そして猫の神インキンの神巫であるリーギルのヒョルト人4人組は、村の有力者ジスティンの依頼を受け、牧場を荒らす謎の犬人間どもから羊を守るために、護衛の役を請け負うこととなった。


 リューブやリーギルの活躍もあって、犬人間どもを打ち倒し、その何匹かを捕らえることに成功したまではよかったが、肝心の、彼らの目的がわからない。
 禍根は根元から断ち切らねば、いつまた同様な事件が起こるか知れたものではない。ジスティンにせかされ、一行は捕らえた犬人間から情報を聞き出そうとする。


 それによると、彼らはなんと、とうに死に絶えたはずの幻の民、「セドラリ」であり、「赤の乙女」に迫害されて、南の方へ逃れてきたということが明らかになった。モントーの見聞から推測するに、「赤の乙女」というのはどうしてもルナー帝国(ヒョルト人と対立しているダラ・パッパ人の支配する国)と、そこで崇拝されている大女神セデーニアを連想させる。
 しかも、尋問するうちに、どうやらセドラリたちの背後には、「デシュルゴス」なる底辺(いやした)の地に住む神と、おそらくその司祭であるところのマラドンという男がついていることがわかってきた。一行は事の意外な大きさに少々たじろいだものの、とりあえず体勢を立て直すためにその晩は休むことにした。

 

 真夜中、牧場の見張りに立っていたリューブは、彼方に輝く淡い光に気がついた。愛馬を駆り、後を追いかけていったリューブは、森の奥深くで、赤い輝きに包まれた妖精の乙女とユニコーンを目にする。
 彼女はリューブの再三の問いかけにもほとんど答えようとせず、目には憂いの表情を湛え、「霜林檎」が「太陽の金色の林檎」に変るであろう、とのみ言い放ち、いずこかへ姿を消した。残されたリューブの頭には、ただ、乙女から投げかけられた破滅のイメージが渦巻くだけだった。


 その後、突如現れた熊の襲撃をなんとか切り抜けたリューブは、無事霜林檎の村に帰り着くと、仲間たちに自分が体験した奇妙な出来事を話して聞かせた。すると、モントーの灰色の脳細胞の中に、引っかかるものがあった。それによると、どうやらリューブが遭遇した乙女は、伝説の「赤いブラウン・エルフ」フィリエルらしい。
 フィリエルにまつわる哀しい伝説はドラゴン・パスでは比較的知られている。ふとしたことからそのたおやかな両手を同族の血にまみれさせることとなった若きブラウン・エルフの乙女は、消えることのない呪いを受け、とこしえに破滅を予言して各地をさまよう羽目になったのだという。


 「赤の乙女」とはフィリエルのことだったのか? ただならぬ空気を感じ取った一行は、とりあえず、捕虜にしたセドラリを連れて、彼らの足跡を追ってみることにした。幸い、雨は上がっており、彼らのやってきた方角を突き止めるのは難しくない。

 

 セドラリたちがやってきた方向は、隣の集落、若樫の村の方面だった。だが、彼らは、そちらには足を踏み入れた形跡はない。再び、慎重に追跡を続けていくと、目の前には、やや小ぶりの、石でできた塔が姿を現した。この周辺の集落で共同に使用されている見張り塔である。


 そのとき、一行の捕虜となっていたセドラリが、甲高い叫び声を上げた。と、塔の中から3匹のセドラリが現れ、武器を手に、こちらに向かってくるではないか! やむなく捕虜を処分し、応戦する一行。善戦したものの、なんと、犬人間の放った槍に喉笛を貫かれ、哀れリューグは息絶えてしまった。
 しかも、その背後からは続々と新たな犬人間たちが押し寄せてくる。その上、中心には司祭らしき格好をした壮年の男が陣取っている。おそらくマラドンだろう。危機感を感じた一行は、ゾーラムがオディラの神力を用いてセドラリたちの気をひいているうちに、身を隠すことにする。

 
 一方、死んだはずのリューブは、自らが黒い靄で包まれたゆるやかに起伏する丘陵地帯に立っていることに気がついた。ここがフマクトの死の谷かと思ったが、どうやらそれとも違うようだ。ゆっくりと丘を下っていくと、目の前には黒い河が流れていた。じっくりと見てみると、どうやら河を流れているのは水ではなく、溶け合った幽霊たちであるようだ。しかも彼らは、今までリューブが手にかけた者たちと同じ苦悶の表情を浮かべ、リューブを差し招いていた。
 が、彼が持てうる限りの精神力を振り絞って禍根を断ち切り、河を渡りきると、目の前に聳えていたのは鋭い剣の切っ先のように峻厳な岩山だった。山を登っていくと、その中腹に、霜林檎の村でのジスティンの小屋によく似た、石造りの建物があった。リューブが近づいていくと、中から現れたのは司祭らしき典礼用の服装をした60過ぎの小男だった。


 彼はデシュルゴスに使えるマラドンと名乗り、リューブに対して、お前は本来ならば死すべきところを、特別の計らいで、この「底辺の地」に呼び寄せてやったのだと説明する。そのうえで、彼はリューブに自らと同じ道を歩むよう誘いかける。
 マラドンはかつて左手が不具のゆえに霜林檎の村の人々に蔑まされたという過去をもっており、その恨みを晴らすべく、情念を傾けてつくり出した呪式の力をもって村を焼き払い、犠牲者の魂をデシュルゴスに捧げようとしていたのである。霜林檎の村が、まるで太陽のように金色に輝く炎に包まれるさまはどんなに美しいことだろうか、と、マラドンは恍惚のうちに物語る。


 その頃、ゾーラムは必死に、オディラの神力を用いて、セドラリたちとその指導者のマラドンを、彼が日ごろ猟をするのに使っていたテリトリーへと誘い込もうとしていた。彼の巧みな誘導の意図するところに気づかない犬人間たちは、ゾーラムの挑発にのせられて、岩穴の中に誘い込まれる。
 マラドンが計略に気づいたときはもう遅かった。ゾーラムはオディラの力を用いて岩壁を崩落させ、自分もろとも霜林檎の脅威となる存在を消し去ろうとしたのである。


 また、底辺の地ではリューブとマラドンとの全存在をかけた戦いが始まろうとしていた。一本気なリューブには、やはりマラドンの計画に賛成することはできなかったのだ。
 リューブが放つフマクトの奥義〈死〉と、マラドンの使うデシュルゴスの奥義〈死の眼〉がぶつかり合う。勝負は一瞬だった。マラドンはリューブのグレートソードに、一刀のもとになます斬りにされることとなったのである。


 現実世界においてのマラドンも、危機に瀕していた。崩れゆく洞窟の中で、必死にデシュルゴスの加護を求めても、底辺の地からは何の応えもない。徐々に薄れる意識の中で、彼は初めて崇める神を呪い、自分自身の過ちを悟ったのであった。


 モントーとリーギルが霜林檎の村に引き上げ、ふたたびゾーラムの捜索に向かったときは、もう夕暮れの時間だった。暮れていく斜陽の投げかける光が、二人の顔に影をつくる。そのときだった。その光景に重なるかのように、霜林檎の村に起こるはずだった惨劇と、それを打ち破ったリューブとゾーラムの活躍が走馬灯のように映し出された。リーギルは慌てて、インキンの神力を用い、ゾーラムが埋まっている洞穴へと向かった。
 そこで二人が見たものは、洞穴の入り口に横たわっていたゾーラムの姿であった。満身創痍ではあるが、かろうじて息はある。どうやら、彼は死に瀕したところを、オディラの奥義〈生に到る眠り〉によって一生を得たらしい。うわごとのようにゾーラムが語る神と家族、そして仲間への想いを耳にしながら、彼らは帰路についた。


 彼らはリューブの死体を捜すことはしなかった。たとえ捜したとしても、見つかることはあるまい。フマクトの信者は常に死地に立っている。そして実際に神に召されることとなった今、神々の最後の決戦が終わるその日まで、彼が帰ることはかなわないのだ。