トマス・M・ディッシュ逝去

 ローカスオンラインにて、トマス・M・ディッシュの訃報が伝えられました。

Death: Thomas M. Disch
SF author, critic, and poet Thomas M. Disch, born 1940, died July 4, 2008, of suicide in his New York City apartment. Ellen Datlow reports that Disch had been depressed for several years, especially by the death of long-time partner Charles Naylor, and worries of eviction from his rent-controlled apartment.


SF作家にして、批評家、詩人でもあるトマス・M・ディッシュ(1940年生まれ)が、2008年7月4日、ニューヨーク市のアパートメントにおいて死去した。死因は自殺である。エレン・ダトロウの話によれば、ディッシュは長年連れ添ってきたパートナー、チャールズ・ネイラーの死にとりわけ意気消沈していた。そのうえ、賃りていたアパートメントを追い立てられ、そのことにも悩んでいたという。[拙訳]

 なんと、自死です。
 代表作『キャンプ収容』(『キャンプ・コンセントレーション』)や『334』には、(石原慎太郎的な意味ではなく)身体を張って、時代精神のエッジを渡っているという「ギリギリ感」が充ちておりました。
 その「ギリギリ感」が、ドストエフスキートーマス・マンジョン・スラデックら、近現代の優れた作家らを通じて培った小説技術を通じ、確たる美学を有した形として仕上げられることで、他の誰にも真似のできない優れた作品が形成されていたというわけです。

キャンプ・コンセントレーション (サンリオSF文庫)

キャンプ・コンセントレーション (サンリオSF文庫)

334 (1979年) (サンリオSF文庫)

334 (1979年) (サンリオSF文庫)

 トマス・ディッシュの作品は、その技術力によって、近代以降の文学的伝統を引き継いだ20世紀小説の最高峰に君臨するものだと断言できます。
 ものすっごく真摯な問題意識に溢れた作品でありながら、「文学」にありがちな押し付けがましさがまったくない。それが、ディッシュの小説です。


 こうしたディッシュの作品は、文学SF)の頂点を極めながら、同時に、映像メディアの発展に伴い多様化するフィクションに、文学的(SF的)想像力が充分に接続できるものだという可能性をも内包したものでした。

 私は『キャンプ収容』に、二種類の既訳、そして原書を通して触れる機会があり、彼の先進性と革新性を、確信するに至りました。
 それゆえ、以前、第51回群像新人文学賞の最終候補となった「生政治と破滅(カタストロフィー)」という論文を書いた際に、「収容所文学」の最高の達成のひとつとして、ディッシュの短編「リスの檻」と長編『キャンプ収容』を考察の中心に用いることとしたのでした。発刊40年以上が経過していても、これらの作品は、何ら輝きを失っていない。むしろ、問題系はより切実なものとなっていると、断言できます。


 しかし、ディッシュは自殺してしまいました。


 なかなか、理解に苦しむ選択です(少なくとも、年間3万人を越える自殺者を抱える日本という国で暮らす身にとっては)。
 ゲイのパートナーが死去したことに意気消沈していたということは、いわゆるゲイのナイーヴさを証立てる既存の神話に、新たな1ページを加えるというだけの話になります。
 アパートメントに追い立てを食らったことで悩んでいたということは、アメリカとイギリスを自在に横断していた、ヒッピー世代ならではの軽やかさが、時代の流れとともに不可能となった、その事実を、真っ向から裏付けてしまうこととなってしまいます。
 こうした凡庸さは、ディッシュが最も嫌うところでしょう。
 

 しかし、思い返せば、ディッシュはキャリアを見るにつけ、不遇さばかりが際立って見えてしまう作家でありました。揶揄と賞賛が入り混じった「無冠の帝王」との呼称が与えられていた時期もありました。
 プロダムもファンダムも、彼にもっと賞を与えて、伸ばすべきだったのではないでしょうか。


 晩年に書かれた『M・D』という作品が、よくブックオフにて100円で転がっているのですけれども、これを読んだときにまず思ったのは、彼をこんな駄作(あえて言います)に安住させているアメリカの文藝シーンは、なんと腐っているのだろう、ということでした。義憤すら感じたのを、よく覚えております。

 ディッシュを死に追いやったのは、パートナーの死でも、住居の追い立てでもない、おそらくは他の何かなのです。それが何であるのかは、実はディッシュを読めば、嫌というほどわかってしまうことでもあります。


 ですが、まあ、シニカルに微笑むことも、不可能ではありません。
 なぜならば安易な救済を否定し、自分で自分への決着をつけるという意味では、実に「意地悪な作家」ディッシュらしいと思えなくもないからです。加えて、安手の神話の中へ回収されてしまうがごとき死に様は、彼がねじれた愛情を示し続けたポップ・カルチャーを、そのまま体現していると言えるでしょう。


 彼は地獄にて、『キャンプ収容』内で語り手ルイス・サッケッティに書かせた戯曲「喜劇 アウシュヴィッツ」の続編を、優雅にしたためていることでしょう。
 ディッシュを追い詰めてしまった社会が、かつて自身がものした『人類皆殺し』のごとく、遠からず滅びの日を迎えるのを、彼は「リスの檻」のなかで、じっと待っているに違いありません。


 そういえば、「リスの檻」が収録された『アジアの岸辺』は、本邦においていまだ絶版となっていない、唯一のディッシュ作品集となります。ご存知ない方は、ぜひいちどお読みになることをお勧めいたします。
 決して、損はしません。


アジアの岸辺 (未来の文学)

アジアの岸辺 (未来の文学)



追記:エレン・ダトロウのブログより、追悼文の引用です。

I've just found out that Tom Disch committed suicide in his apartment on July 4th. He was found by a friend who lives a few blocks away.


I'm shocked, saddened, but not very surprised. Tom had been depressed for several years and was especially hit by the death of his longtime partner Charles Naylor. He also was very worried about being evicted from the rent controlled apartment he lived in for decades.


I last visited with him about a month ago, when I ran into him shopping at the Greenmarket across the street from where he lived (he rarely went out because he had trouble walking). He invited me up for cheese and bread which we bought together at the market and I visited for an hour or two. He seemed more optimistic about his work than he'd been for at least a year as he had three books/novellas coming out over the next year.


Tom wrote wonderful stories (I only read one or two of his novels but kept meaning to read more) and if you haven't ever read the collections Getting into Death or Fundamental Disch you need to find and read them.

Tom, as much as you were a bitter, sometimes mean curmudgeon--I'll miss you.