「文学の特異点」より、トーマス・ベルンハルト『消去』論をご紹介。


 ちなみに、評論の水準を知っていただくために、〈科学魔界〉に掲載いただいた論文「文学の特異点」から、カール・シュミットパルチザンの理論』を援用してトーマス・ベルンハルトの『消去』を論じた部分をサンプル代わりに抜き出してみましょう。
 こちら、自分ではけっこう斬新な「読み」が提示できたのではないかと思ってます。
 どうぞ、参考にしてみて下さい。

パルチザンの理論―政治的なものの概念についての中間所見 (ちくま学芸文庫)

パルチザンの理論―政治的なものの概念についての中間所見 (ちくま学芸文庫)


六、ウロボロスの模造

 さて、「友/敵」理論がナチスの台頭という形で実現し、そして第二次世界大戦の終了と共に崩壊した後、シュミットの思想には「空間(ラウム)」が導入されることとなった。あらゆる法は真空のなかで法として成立しているのではなく、それにふさわしい場所を持たねばならない、というのがその骨子であるが、こうした「空間(ラウム)」概念をも思考の射程のうちに取り入れることで、シュミットは思考に可塑性を持たせ、過ちを繰り返さないようにしたのである。
 ところが、パルチザンの有する「本能の領域」は、「空間(ラウム)」概念を根底から揺るがす。ゆえにシュミットは、パルチザン的なものを戦史的な要素としてだけではなく、政治哲学的な領域からも検証しなければならなかった。
 昔から、パルチザンは従来の陸軍・海軍という区分に囚われない戦略性を有していた。ゆえに戦術のレヴェルを越えて政治思想の面においても、パルチザン的な絶対性は、「友/敵」の二元論に介入する第三者的な要素として機能し、二元論の本質を変化させてしまう。
 『パルチザンの理論』に挙げられる例で言えば、フランスの将軍ラウル・サランの事例が、これに該当する。サランはインドシナでの長い従軍経験があり、相手を滅ぼすのに充分な軍備が備わっていたのにもかかわらず、ヴェトナムのパルチザンによって敗北を喫せられた。かような経験を通して彼は、従来の規範的な枠組みに則った正規軍の無力さを再確認し、パルチザンに対抗するためには、「敵」に匹敵しうるほどの強度を持ったパルチザンを自国に育てる必要がある、という点に思い至った。すなわち、帝国主義パルチザンの融合である。
 その後サランは、派遣されたアルジェリアにて、独立を目論むパルチザンと交戦した結果、パルチザン戦争の「仮借ない論理」に屈してしまったのだった。そして、パルチザンの力を骨の髄まで思い知った彼は、植民地において、独自のパルチザンを組織し始めた。しかしながら、彼の目論見は祖国フランスの賛同を得られず、結果としてサランは、自らが擁立の一端を担ったド・ゴール率いる祖国フランスの政府と、敵対関係を形成してしまう。こうしてサラン将軍は、同士を率いて祖国フランスと武力的な対決を行なわざるを得なくなる。
 これら自己言及のパラドックスにも似た事例は、テクスト本来の自由性を追求するあまり〈エコノミメーシス〉から遠ざかり、かつ政治性を脱臼させられるに至った文学においても、深刻な問題として現れている。トーマス・ベルンハルトが生前最後に残した長編小説『消去』を観てみよう。
 おそらく、パルチザンと類比される対象として、ベルンハルトほど似つかわしい作家はいない。およそ連帯というものをことごとく蔑視し、祖国オーストリアと、その根幹にあるカトリシズム精神について激烈な呪詛と罵倒とを繰り返すベルンハルトの言葉は、文学の世界だけではなく、常に政治的な領域においても物議を醸してきた。
 彼の小説に登場する人物の多くは、あまりにも高い理想に阻まれていっこうに仕事を推し進めることがかなわない、芸術家や科学者や知識人などであり、自らを閉塞した状況に追いやった周囲の環境に対し、偏執狂めいた怨念を抱いている。ベルンハルトによれば、こうした腐り果てた世界から逃れるためにはいち早く発狂してしまうか自殺するしかないのであり、作品世界には常に死と崩壊の影が取り巻いている。『消去』の冒頭に掲げられている「死に神の鈎爪にがっしりつかまれているのが分かる。死神は私が何をしていても、片時もそばを離れない」というモンテーニュエピグラフに、こうした世界観が如実に現れている。
 そこでは、卑小な主体に対する「絶対的な敵」として世界は立ち現れており、小さな自意識などは一括りにされ呑み込まれてしまう。ベルンハルトのテクストは、間接話法の多様、執拗な語りの反復構造、連想が連想を呼ぶ語りの連繋作用によって、「絶対的な敵」に対する必死の抵抗を行なっているように見える。そこでは主体を規定している家族・国家・芸術を規定している規範性は、飽くことを知らず徹底的に罵倒される。
 『消去』の主人公フランツ‐ヨーゼフ・ムーラウはローマでドイツ文学の家庭教師をして糊口を凌いでいる学者もどきの男だが、ある日、両親と兄が交通事故で亡くなったことを知らされ、葬儀と遺産相続のために故郷オーストリアの古い城下町ヴォルフスエックに戻ることになる。その間、彼の心内に到来するヴォルフスエックの記憶や曖昧な想念を、ムーラウは教え子ガンベッティ宛ての書簡に書きつける。以上が『消去』という小説の体裁であるのだが、注意すべきは、ムーラウが祖国や故郷、近親者などに行う価値判断、ひいては罵倒に、何ら政治的なイデオロギーを読み取ってはならない、ということだ。例えば、カトリック教会が非難される箇所を観てみよう。

両親は、最大級の思いやりのなさでもって、私の頭を長年にわたり、カトリック的国民社会主義的な仕方で引っかき回し、めちゃくちゃに破壊してしまった。〔……〕カトリック教は子供の魂のひどい破壊者、ひどい恐怖の吹き込み手、子供の人格のひどい破壊者だ。これは真実だ。何百万人、何十億人がカトリック教会のおかげで根底から破壊され、台無しにされ、世界の役に立たなくされており、自然な本性を奪われている。カトリック教会は、それによって破壊された人間、カオス状態にされ、徹底的に不幸にされた人間に責任を負っている。これが真実で、その逆ではない、というのもカトリック教会は、カトリック的人間のみを許容し、他の存在はいっさい認めないからだ。それが教会の意図であり、永続的目標だ。カトリック教会は人間をカトリック教徒という鈍感な生き物に改造するが、カトリック教徒となった人間は自立的思考を忘れ、カトリックの宗旨のために自立的思考を裏切る。これが真実だ、と私はピンチオの丘でガンベッティに言った。〔『消去』、一〇二頁〕

 ここでは、国民社会主義、つまりファシズムの権化である、人間性を根底から破壊する装置として、カトリック教会が位置づけられている。しかしながら、ムーラウが批判しているのはカトリック教会に対してではありながらも、字義通りにカトリシズムそのものを否定しているのではないのである。彼は、カトリックを否定する仕方と同じく激烈な口調で、祖国オーストリア共産主義カフカショーペンハウアーを除くドイツ語文学、そして何より故郷ヴォルフスエックをも、繰り返し嘲罵しているからだ。つまり、ムーラウは、自己の人格を形成した環境的な諸要素を、軒並み否定し、そうすることによって彼は、生にまとわりつく汚辱そのものを削ぎ落とそうとしているのである。その意味で、ムーラウは純然たるアナーキストであるのだが、ムーラウが状況の否定によって導き出そうとする代替的な価値観は、いずれ到来するものとして約束されるものというよりも、否定性の彼方にしか存在し得ないがゆえに、否定辞を添えた言語によってしか描き出すことの適わない類のものとなる。ゆえにムーラウが想定しているのは「構想力」の革命でありながら、現実の革命ではあり得ない。そして、「構想力」の革命が現実の政治として行き着く先にあるのは、自己消去以外の何ものでもなくなる。

 実際私は、ヴォルフスエックと家の者たちを打ち砕き、破壊し、滅ぼし、消去することをねらっているが、同時に私自身を打ち砕き、破壊し、滅ぼし、消去してしまう。とはいえ、この自己破壊と自己消去は、と私はガンベッティに言った、私にとって好ましい考えでもある。ほかでもないこれが生涯かけての私の企てだ。そしてもし私が思い違いをしていなければ、この自己破壊、自己消去は成功するのだ、ガンベッティ君。〔『消去』、二一四頁〕

 さて、彼はオーストリアを否定する替わりにイタリアに代表される地中海的なもの、そしてそれらに開眼させてくれた叔父をしきりに称揚するが、ムーラウの眼前に開ける世界は、地中海的な暖かさとはどうしても結びつかない。彼の唱える否定性はそのまま主体にまつわるあらゆる物事を消去する意志を示すものであり、極めて滅私的な、非‐人間的な情動に基づいているものである。それゆえに否定性を通じて立ち現れる浄福は、カトリシズム的な「救済」の色調を強く帯びている。だが、カトリシズムを否定することによってベルンハルトは、逆説的に「救済」を導き入れようとした、という短絡的な解釈を行なってはならない。
 おそらく否定性の連鎖によって指し示された浄福の地平は、ベルンハルトの語り口そのものの魅力によって形成されたものであるのだろう。それゆえに『消去』という小説の性質は、実は、純粋な音楽に近いものがある。否定的な言辞の数々は、壮大な交響曲を彩る僅かな不協和音に過ぎない。ゆえに、ベルンハルト自身も愛唱したという『魔笛』のような美しさの極みにある音楽を念頭において、『消去』は鑑賞されるべきなのであろう。


(……)