『ミノタウロス』の文庫解説を担当させていただきました。


 佐藤亜紀氏の傑作長篇『ミノタウロス』をご存知でしょうか。
 2007年に単行本が発売されたこの作品が、このたび、めでたくも講談社文庫に収録され、明日5月14日付けで全国の書店にて発売される予定となっております。
 『戦争の法』、『鏡の影』、『外人術』、『陽気な黙示録』と、過去の佐藤亜紀作品が次々と文庫化され、入手しやすくなっている昨今、このうえなくめでたいニュースです。
 で、この『ミノタウロス』ですが、文庫化にあたっての解説を、畏れ多くも私が担当させていただきました。
 もし、まだ『ミノタウロス』をお読みになっていない方がいらっしゃいましたら、せっかくの機会ですので、お手にとっていただけましたら幸甚です。
 まだお読みない方向けに、奥付の紹介文を引用させてもらうと、このようなお話となっております。

 帝政ロシア崩壊直後の、ウクライナ地方、ミハイロフカ。成り上がり地主の小倅、ヴァシリ・ペトローヴィチは、人を殺して故郷を蹴り出て、同じような流れ者たちと悪の限りを尽くしながら狂奔する。発表されるやいなや嵐のような賞賛を巻き起こしたピカレスクロマンの傑作。第29回吉川英治文学新人賞受賞。

ミノタウロス (講談社文庫)

ミノタウロス (講談社文庫)

帯付きの書影は以下の通り。許可をいただき、アップさせていただきます。

解説文について

 紹介文にもあるとおり、『ミノタウロス』は帝政ロシア末期、すなわち1917年前後が舞台になっている作品ですが、解説においては同時代の情勢を中心に作品の背景を詳しく紹介しながら、『ミノタウロス』というテクストがいったい何なのかということを、拙いながら考えてみた次第です。
 通常、文庫の解説というのは400字詰め原稿用紙にして10枚くらいという分量的な制約が課せられているものなのですが、今回はなんと30枚近い紙幅をいただくことができました。
 特に、「ミノタウロス」という神話的な形象がいったい何を指しているのか、そして、衝撃の結末と「語り」との関係性について、拙いながら私なりに考えてみました*1
 なので、まずは虚心坦懐に『ミノタウロス』の本文に触れていただき、その後、解説文に目を通していただきまして、読者の方々が、自分なりの解釈をされる際のよすがとしていただければ幸甚です。
 RPG畑で私のブログを読んで下さっている方々も、ぜひとも『ミノタウロス』に触れてみて下さいませ。解説はともかく、作品からは、絶対得るところがあると思います。

ミノタウロス』の批評性

 さて『ミノタウロス』のテクストは、帝政ロシア末期の喧噪という、一見、現代を生きる私たちとはまったく関係ないと思われる世界を描き出しています。
 だからというべきか、そのことにはたして(「現代的な」)意味があるのか、疑問を抱く声をしばしば私は耳にしてきました。
 しかし、連載時から『ミノタウロス』を熱心に追いかけ、解説を書くにあたって読み直した今、私は確信しています。『ミノタウロス』のテクストで提示されているのは、単なる箱庭ではありません。文明批評やヒューマニズム批判、という括りが陳腐に思えてしまうほどの、歴史を個人の「感覚」で捉え、それを汎的なモデルにまで拡大させた作品なのです。
 つまり『ミノタウロス』というテクストは、小説でありながら、生半可な批評以上に「批評」たりえていると言えるでしょう。だから私は、それこそ青木淳悟論や伊藤計劃論、さらには大江健三郎*2の延長線上での、批評的な問題意識のフィルターをも介して、この『ミノタウロス』を読むことにいたしました。
 しかし、『ミノタウロス』が面白いのは、批評的な問題意識に具体的な「回答」を与えてくれる類の本ではまったくない、ということです。
 現代を取り巻く状況に対しての、特効薬を『ミノタウロス』は提供してくれません。
 読者の一人として、批評であることを擬装しているような安易な文章が瀰漫し、それが瞬く間に賞味期限を終え、失効していくさまを目にする機会が増えていますが、『ミノタウロス』は、そうした弊害に巻き込まれることをうまく避けることができています。しかしながら、批評の多くが、説得力をもって辿り着くことのできなかったある一点*3を、『ミノタウロス』は確かに瞥見することができているように思えます。
 『ミノタウロス』のテクストは象嵌法が駆使され、内部の照応関係を示す象徴も多数存在しますが、そうした表徴が、より大きな歴史の中で位置づけられ、変動するさまをも洩らさず描かれています。
 一言で言えば、「文学、まだまだやれるじゃん」。これぞ、文学の力。そうした希望を与えてくれる小説でもあるように思えます。学校で、あるいは在野で文学を勉強している人へ。まだまだ行けるよ、僕ら。これからは文学こそ必要なものだよ。

ミノタウロス』の表現

 『ミノタウロス』の書き方は、他のどのようなテクストにも似ていません。それはおそらく「死」についての向き合い方という意味ですが、そのあたりの考察は解説に譲らせていただきます。
 さて、07年、単行本で『ミノタウロス』が発売された時点では、おそらく著者のインタビュー*4にて「一九二〇年頃の内戦時代のウクライナで『ワイルドバンチ』をやります(笑)。飛行機は飛ぶし、機関銃はあるし、最高でしょ。」が過剰に意識されたのか、サム・ペキンパーの『ワイルドバンチ』、ひいてはその延長線上にある「エンターテインメント」という評がしばしば用いられてきました。
 私は自分がエンターテインメントの書き手であるという自覚があるので「エンターテインメント」という言葉に対して強い抵抗はありませんが、それでも「文学」と対比されるものとしての「エンタメ」が安易なレッテル貼りとして機能するさまを目にしてきましたし、「面白い」とはいったい何かを考えるという文脈を外したうえで、いたずらに「ただ楽しかった」=「エンターテインメント」という措定を行なうことは、往々にしてただ短絡的になってしまう場合が多いように見受けられます。現に、賞賛としてならばともかく、蔑称としての「エンタメ」として『ワイルドバンチ』を見ても、そこからは何も得られないのではないでしょうか*5
 なので今回の解説は「エンターテインメント」という切り口からの解釈は、あえて禁句にしてあります。私自身、佐藤亜紀作品を初めて読んだ際の驚きは、何よりも文学に触れた時のもの、そして「えっ、現代文学で戦闘してもいいの?」(『天使』ね)というものでしたし*6
 『ミノタウロス』の語り手、ヴァシリ・ペトローヴィチは、キエフで教育を受け、一九世紀小説の文法で世界を見ているわけですが、彼はそうしたものの見方について、批評的なスタンスを崩しません。
 後に二〇世紀フランスの小説家、クロード・シモンが『アカシア』などで、バルザックなどの一九世紀小説を意識するさま、さらには『農耕詩』などで具体的に世界戦争としてのナポレオン戦争を登場させる方法とは、まったく異なる記述スタイルが用いられています*7
 ヴァージニア・ウルフと「意識の流れ」については、詳しくこちらに書きました。
http://d.hatena.ne.jp/Thorn/20070105/p1
 解説では、ロシアの文学作品では主にバーベリの『騎兵隊』、ブルガーコフの『白衛軍』、さらにはペレーヴィンの『恐怖の兜』*8という三つの小説について言及させていただきましたが、まだお読みではない方は、これらの作品と、『ミノタウロス』の記述スタイルを読み比べてみて下さい。
 特にバーベリ。戦争をこういう表現で書く人は、現代のフィクションでは まず出会うことができません*9。もちろんバーベリと『ミノタウロス』はもちろんスタイルはまったく異なりますが、両者を並べることで、何かが見えてきたようにも思えます。バーベリは『騎兵隊』のみならず『オデッサ物語』も傑作ですので、興味がある方はぜひチェックしてみて下さい*10。『白衛軍』については、市街戦に巻き込まれたキエフ近郊が実に良く書けています。いわゆるブルジョワの戦闘スタイルと『ミノタウロス』で描かれた光景との違いという意味において、興味深いポイントが多々存在します。
 このあたりも、いずれ考えてみたいところです。

世界の文学〈第28〉ゴーリキイ,バーベリ (1966年)どん底・幼年時代・他短篇・騎兵隊

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白衛軍

白衛軍

恐怖の兜 (新・世界の神話)

恐怖の兜 (新・世界の神話)

オデッサ物語 (群像社ライブラリー)

オデッサ物語 (群像社ライブラリー)

さらなる愉しみのために

 『ミノタウロス』を読み終えたら、ぜひとも考えてほしい問題を、いくつかピックアップしておきましょう。批評的なものもあれば、カルトクイズ的なものもあります。あるいはその両方にまたがりそうなものも。
 私自身、確固とした答えが出ておらず、また別の機会に論じてみたい点も含まれておりますが、探究(クエスト)の愉しみを増すために、一部を皆さんと共有させていただきます。
 ぜひ、いっしょに考えていきましょう。


Q:ヴァシリ・ペトローヴィチは何年に生まれたのか? そして、「語り」の最後はいったい何年か?


Q:ヴァシリの行軍ルートは、いささか非合理的ではないか? その理由は何か?


Q:セルバンテスの言及は、セルバンテスの著作のいったいどの部分なのか?


Q:マリーナとの交渉の表現に違和感はないか? あるとしたらそれはどのような部分か?


Q:『ミノタウロス』と並べるにおいて、おそらく外すことのできないテクストがほかにもある*11。それは何か?


Q:途中出てくる飛行機の機種は?(参考:「小説現代」の2006年6・7・10〜12月号、および2007年1・2月号に、門坂流さんの素晴らしいイラストが添えられています)


Q:この小説にはたして、「アリアドネ」はいるのか?(アリアドネの末路を想起してみましょう)


 そうそう、オルハン・パムク佐藤亜紀との対談は、いまはこちらの本に収録されたようですよ。佐藤亜紀氏が聞き役に回っている珍しい対談です。

父のトランク―ノーベル文学賞受賞講演

父のトランク―ノーベル文学賞受賞講演

*1:この問題について本質的に「ネタバレ」は存在しないと私は考えておりますが、一応、ウェブでの言及は避けておきます

*2:こちらはまだ発表の機会を得られていません、申し訳ありません

*3:それは私が『虐殺器官』に「わずかな希望」を感じた地平にも通じるものです。

*4:http://www.bunshun.co.jp/jicho/satoaki/satoaki02.htm

*5:いや、『ワイルドバンチ』が心の映画な身からすると、特に

*6:それゆえ、RPGライターとしても莫大な影響を受けていると言ってよいと思います。

*7:例えば、ラスト近辺に引用される小説がなぜ『金』なのか、いちど、考えてみて下さい

*8:「「不在」の「神話」化――ヴィクトル・ペレーヴィン『恐怖の兜』」(「Speculative Japan」 、http://speculativejapan.net/?p=63

*9:バーベリについては、速水螺旋人さんに教えていただきました。この場を借りてお礼申し上げます

*10:日本語での紹介サイトがありました。http://www.age.ne.jp/x/kanya/bbl-essei.htm

*11:私はこれを使って、もういちど『ミノタウロス』について語ってみたいとも思っています