久しぶりに蔵原大さんのレビューをご紹介させていただきます。今回はキーガンについて。多木浩二も『戦争論』で、キーガンに言及しておりました。
 最後の『日本語が滅びるとき』について、私は別な意見がありますが、その件についてはかつて『社会は存在しない』という本に収録いただいた論文で書いたことがありますのでそちらをご覧下さい。

<【レビュー】J・キーガン『戦闘の顔』(The Face of Battle)>

2010年05月06日著

 日本では一向に名を知られない本書は、1976年の初版以来、欧米における戦争研究の底本的存在として不動の地位を保っています。イギリス人の著者キーガンは、中世・近代・現代の三時代における「戦闘」(battle)の現場を材料に、人々はなぜ戦闘に加わり、どんな風に戦って死んでいったのかを考察し、闘って傷つき倒れる兵士の心情ひいては人間社会における(好戦・反戦を含めた)戦いの文化を探究しました。その内容は、あえて日本の学問体系に組み入れれば「社会学」または「軍事史」「民衆史」の範疇になりましょうが、もしかしたら今あれこれ言われる「カルチュラル・スタディーズ」の先駆に相当するのかもしれません。


The Face of Battle: A Study of Agincourt, Waterloo, and the Somme

The Face of Battle: A Study of Agincourt, Waterloo, and the Somme

 本書の構成は次の通りです。

 ◎ 謝 辞(Acknowledgements)
 ◎ 第一章 昔々の、陰鬱で、とうに忘却の彼方の事々(Old, Unhappy. Far-off Things)
 ◎ 第二章 アザンクール(Agincourt, 25 October 1415)
 ◎ 第三章 ワーテルロー(Waterloo, 18 June 1815)
 ◎ 第四章 ソンム(The Somme, 1 July 1916)
 ◎ 第五章 戦闘の未来(The Future of Battle)
 ◎ 参考文献(Bibliography)
 ◎ 索 引(Index)

 なお以下の『戦闘の顔』に関する引用、記述はJohn Keegan, The Face of Battle (Penguin Books, 1978)を参照し、原書からの引用箇所にはページ数を付記しておきました。

 冒頭の有名な書き出し、「私が戦闘に加わったことは一度もない。その様子を観戦したこともないし、戦闘後を視察したこともない。戦闘に加わった人、例えば実父や義理の父といった方々から話を聞いたことならある」(p.13)ではじまる本書の特徴は、戦場の「現場」で何が起こっていたのか、そこでの人の生き死にの有様を歴史書、公文書、日記や手紙などを通じて明らかにした事です。その主眼は戦争の指導者(政治家・将軍)にではなく、戦闘の当事者(下級兵士やその出身母体である民衆)に向けられています。総じて戦争遂行における権力の上位構造ではなく下位構造に重きを置いている所、兵士にどう振る舞うべきかを説いたのではなく兵士がどう死んでいったのかを解明した所が、従前の(イデオロギー色が強かった)戦争研究に比べて革新的だったわけです。

 もっともすでに1972年、イギリスの歴史家マイケル・ハワードが「軍事史の活用と濫用」(The Use & Abuse and Military History)という論文を通じ、旧来の軍事史が政府のプロパガンダ工作の一翼に位置し歴史的事実の「神話化」=歪曲に加担していた事を批判して、公的発表ばかりでなく私文書(日記や書簡、小説など)にも目を配って「幅広く、奥深く、前後関係を踏まえた」(in width, in depth, and in context)軍事史の研究を求めていました(*1)。もしかしたら本書『戦闘の顔』はこのハワード論文にかなり触発された所があるのか、実際、第一章中の「軍事史の有用性」と「軍事史の欠陥」(The Usefulness of Military History, The Deficiencies of Military History)には「軍事史の活用と濫用」に類似した表現が散見されます(ただし参考文献に上記論文は載っていませんでしたが)。

 とはいえ、そのハワード、クラウゼヴィッツトルストイ戦争と平和』等に対し、キーガンは政治や「偉人」(Great Man)を軸にして歴史を叙述するきらいがあると批判する反面、「想像力や感傷」(imagination and sentiment)に頼る戦闘の叙述については「暴力的なポルノ作品」(pornography of violence)と呼んで危惧を隠しません(pp.27-9)。まずは、軍事史を「軍事史家の精神に巣食う独善性」(dictatorship over the military historian's mind)から解放しよう、戦いに関する論説をプロパガンダと専門家の狭い領域に閉じ込めるのはもうやめにしよう、そこにキーガンの主張の骨子があるようです(refer to pp.34-5)。

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反戦は大戦の嫡子?】

 なおWW2以後〜冷戦中の日本では、反戦ムードの影響からか、情報公開の遅れからか、戦争研究があまり進展しなかったという話もいろいろ聞きます(*2)。ところがこの辺の事情はイギリスでも(特に第一次世界大戦研究については)あまり変わりがなかったらしく、その経緯はイギリスの研究者のブライアン・ボンド『イギリスと第一次世界大戦―歴史論争をめぐる考察』(2006)でも説明されていた通りです。

 本書『戦闘の顔』の第五章「戦闘の未来」曰く、第二次世界大戦後で世界的にブームとなった反戦活動は、おそらくは大戦の惨劇、とりわけそれが徴兵制や民衆への直接攻撃という形で生まれた結果だろう、と。徴兵制によって普通の市民が本当の戦場を体験した事、市民社会の生活空間がそのまま戦場と化した事が、戦争に関する幻想を打ち壊してWW2後の反戦ムードを準備した。そう捉えるJ・キーガンは『戦闘の顔』の末尾をこう締めくくっています(以下pp.342-3)。

 20世紀のヨーロッパやアメリカ大陸に位置し、その軍隊が大規模な徴兵制によって成人男性層から直接編成された国に対しては、その制度が自由主義的であるか否かに関わらず、状況を大いに幅広くかつ奥深い(more widely and deeply)視座で見るべきである。第一次および第二次世界大戦は、すでにご存知のように結果を悉く列挙することはおろか戦局を図解しつくすことさえ今もって不可能なほど、大規模きわまる戦いだった。だが少なくとも次のような矛盾だけは受け入れるべきではない。例えば、暴力と突然の死という体験は戦いを通じて大勢の、もしかしたら過半数の世帯にもたらされたわけだが、そのおかげで、時に気まぐれや偶然によって、時に恣意的あるいは何かの目的によってか分からないが、とにかく人間社会に引き起こされる可能性のある痛ましい戦いは、恐れられている。この恐怖はとても意義深いもので、しかも世界中の人がおおむね共有しており、将来の戦いの有用性は様々な地域において疑問視される、という風の。
 若い世代はすでに独自の見解を示している。徴兵されるのを嫌がる若者の頭数は増える一方で、そうした人々は軍隊をお飾りだと思っている。軍隊に入った若者に至ってはその見解から一歩進んで、自らの戦う理由は政府機関や軍隊のためではなく、たとえ政府や軍隊に反するとしても、また地下工作やゲリラ活動をしなければならないとしても、必要ならば戦うまでだから戦うのだと広言している。またどんな軍人も、未来の戦いが本国から遠く離れた地域で行なわれる事を否定できまい。強大な武装集団が東西陣営に分かれ、国境を挟んでにらみ合っている間は、どちらの陣営の軍人であろうと、自らがその計画を立て訓練を行なった軍隊の価値を否定するはずもない。国家が武器を手に携えている限り、戦争を仕掛けるぞ仕掛けるぞという鉄面皮(iron face)で他国に臨むだろう。こうして、戦いはもはや自らを滅ぼしたという考えに疑問が生じてくるのである。


 こうした論説を土台にして、後にアーサー・フェリル『戦争の起源』(1988年邦訳初版)、デーヴ・グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』(2004年邦訳初版)、マーチン・ヴァン・クレフェルト『戦争の変遷』(The Transformation of War、1991、未訳)等が後続してくるのですから、西洋歴史学軍事史でのキーガンの影響力は絶大といっても間違いではないでしょう。

 こういう書籍が、日本の学界ではほとんど無視されているわけです。

Transformation of War

Transformation of War

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【J・キーガンの既訳文献】

 その活動を以って貴族に列せられたJ・キーガン卿の書籍は、日本でも一部邦訳されています。

 ○ 戦略の歴史:

戦略の歴史―抹殺・征服技術の変遷 石器時代からサダム・フセインまで

戦略の歴史―抹殺・征服技術の変遷 石器時代からサダム・フセインまで

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4883022919/mixi02-22/

 ○ 戦争と人間の歴史―人間はなぜ戦争をするのか?:

戦争と人間の歴史―人間はなぜ戦争をするのか? (刀水歴史全書)

戦争と人間の歴史―人間はなぜ戦争をするのか? (刀水歴史全書)


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【またも知らぬは日本人ばかりなり】

 話は変わりますが、できるならとっくに邦訳されてもよかった本書『戦闘の顔』は、その大局観ならびに中近現の三代に跨った深い考察、かつ今日の日本における歴史学・出版業界の「動脈硬化」=タコツボ化を考えると、この十年以内に全訳される見込みはまずないと思われます(*3)。

 作家の水村美苗は『日本語が亡びるとき』(2008)の中で、日本社会が日本語の〈文化商品〉を積極的に発信しなかった歴史を概観し、いまや「〈学問の言葉〉が英語という〈普遍語〉に一極化されつつある」「英語という〈普遍語〉の出現は、ジャーナリストであろうとも、ブロガーであろうと、ものを書こうという人が、〈叡智を求める人〉であればあるほど、〈国語〉で〈テキスト〉を書かなくなっていくのを究極的に意味する」と論じています(*4)。要するに学術であれ小説家であれ知的産業の従事者が身を立てようと思ったら、これからは(これまでと同じく)英語・アラビア語・中国語、要は国際社会の〈普遍語〉を憶えるのが必須だという事です。


 そういうわけですので、皆さんも英語を習って原書をお読みになる事をお勧めします。もう日本語の時代は終りだそうですからね、皆さん。

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 …研究の一環として、実戦経験のある古参兵を対象に面接調査を開始したときのこと。戦闘の精神的外傷に関する心理学理論について、ある気むずかしい軍曹と話し合ったことがある。彼は馬鹿にしたように笑いだし、「そんなやつらになにがわかるもんか。童貞どもが寄ってたかってセックスの勉強をするようなもんじゃねえか。それも、ポルノ映画ぐらいしか手がかりはないときてる。たしかに、ありゃセックスみたいなもんだよ。ほんとにやったことにあるやつはその話はしねえもんな」
 戦闘における殺人の研究は、ある意味でセックスの研究に非常によく似ている。
 ―デーヴ・グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』(2004)p.41―


【脚 注】
(*1) Michael Howard, "The Use and Abuse of Military History", Canadian Army Journal Vol. 6, No. 2 Summer 2003, The Army Doctrine and Training Bulletin, 2003, originally published in 1962.
(*2) 「安全保障政策に関する分野、とりわけ防衛庁自衛隊史」の研究が20世紀中に蓄積されてこなかった事情を「歴史研究を試みる上で死活的に重要であるところの関係文書資料が、警察予備隊時代を含めて非公開であったという状況が、そのもっとも大きな原因だったといえるだろう」と説明するのは、中島信吾「ブリーフィング・メモ 防衛庁自衛隊史研究とオーラル・ヒストリー」『防衛研究所ニュース』(2006年10月号、通算104号)、防衛省防衛研究所、pp.1-2.
(*3) 少なくとも歴史学のタコツボ化についての現状分析は油井大三郎(日本学術会議高校地理・歴史科教育分科会委員長、東京女子大学現代教養学部教授)「コラム歴史の風 歴史的思考力をどう育てるか」財団法人史学会編『史学雑誌』(第118編第7号、2009年7月)、山川出版社及び桃木至朗『わかる歴史・面白い歴史・役に立つ歴史』大阪大学出版会、2009年の「第二章 歴史学の限界と動脈硬化」を参照。桃木は「日本歴史学の研究者養成は、狭い領域内で業界用語を駆使して活動する「職人」ないし「技術者」の養成に偏り、「知識人」「歴史家」として「外部」に発信したり「大きな世界を論じる」訓練を欠落させてきたのである」と評する(『わかる歴史・面白い歴史・役に立つ歴史』pp.59-60)。
(*4) 水村美苗日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』筑摩書房、2008年、p.252, 253.

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【関連記事】

○ 【レビュー】 『戦争における「人殺し」の心理学』
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○ 【小考】アメリカ軍首脳、敗色濃厚を認める―アフガンにおける真の敗者は誰か?
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○ 評するも人、評されるのも人:あるいはマイケル・ハワードとヘルムート・フォン・モルトケの奇妙なコラボレーション
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○ レビュー:雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1319388142&owner_id=2281505

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【公的サイト】

○ "May 8, 1994, A History of Warfare by John Keegan." Booknotes.
http://www.booknotes.org/Transcript/?ProgramID=1198
ジョン・キーガンに対するインタビューを記事にしたものです。

○ John Keegan | Facebook:
http://ja-jp.facebook.com/pages/John-Keegan/104121466291382
ジョン・キーガンFacebookにおけるファンページです。


●蔵原大さんのミクシィページはこちらから。
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=2281505&from=navi