時事通信に山城むつみ『連続する問題』の書評を寄稿させていただきました。

 山城むつみ『連続する問題』について、時事通信に新聞書評を書かせていただきました。
 4/26付で配信され、早ければ明日あたりから、全国の地方紙の書評欄にて掲載される予定です。

連続する問題

連続する問題

 昨年からはじめた新聞書評、1回めは伊藤計劃円城塔屍者の帝国』、2回めは笙野頼子『猫ダンジョン荒神』、3回めは黒田夏子abさんご』でした。第4回となる今回は、先に簡単に初読時の所感を触れておきました山城むつみ『連続する問題』の書評となります。 


 タイトルは「排外主義からの脱出路示す」。
 宝くじから抗鬱剤、ロシア絵本からSF映画トゥモロー・ワールド』まで、多才な話題が入り口となっているこの評論集ですが、私はこの時評集の根底に、近年、猖獗を究める「排外主義」に対抗する、オルタナティヴな思考法を読み取りました。
 山城むつみは、中野重治の思想を現代に応用する形で、歴史の深淵へ深く潜り込みます。


 この本のもとになった連載は2002年から始まりましたが、この年は私がはじめて、池田雄一さんに「気づき」を与えられ、意識的に批評というものを学び始めた年となります。今でも鮮明に憶えていますが、この本で論じられるような「文学」と「政治」のちょうど境界に位置する人文科学的な思考法の根幹、すなわち「人文上の権利」が、音を立てて瓦解していったのはこの時期でした。
 さかんに文学不要論が囁かれ、ましてや、大学の外に出て批評的思考を維持するということに、いったい何の価値があるのかと、ことあるごとに煽られたものです。


 けれども、それから10余年が経過した現在、いかなる事態が引き起こされたのでしょうか。


 私の目に映っているのは、深度を書いたうわべだけの人間観の蔓延、「自虐史観を超えた真の歴史認識」なる極右的プロパガンダの席捲と、それに軽々と踊らされ「純粋な“日本人”としてのアイデンティティ」なる空虚なる中心を――それが「いじめ」の発想そのものであることにも気づかず――いわゆる「ネット右翼」的な排外主義によって、それとは意識することなく追い求める同世代や後進世代の姿です。


 いま、何よりも批評に求められているものは、深度ある思考とは何か、その規範を示すことでしょう。
 「読む」ことの可能性を真摯に追求し、抽象的な思考が本来的に有していたダイナミズムを恢復させるために、本書は味読に値する書物だと断言できます。


追記:「幻戯書房NEWS」でご紹介いただいております。http://genkishobo.exblog.jp/18760271/
琉球日報5月5日付け、京都新聞5月12日付けに掲載とのことです。