Speculative Japan再録 ジュノ・ディアス来日記念イベント参加報告(2011年8月24日記事)

 2013年8月のハッキング攻撃によって更新停止を余儀なくされているニューウェーヴ/スペキュレイティブ・フィクションのサイト「Speculative Japan」に発表した原稿を、こちらに拾遺していきます。明確な誤植や事実誤認については訂正をいたしますが、原則として原文ママの掲載になります。

 今年の2月に邦訳され、読書界の話題を席捲した『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(都甲幸治・久保尚美訳、新潮社)をご存知でしょうか。本作をもってピューリッツァー賞と全米批評家賞という栄冠を手にしたドミニカ系アメリカ人の小説家、ジュノ・ディアスの来日に伴い、去る8月3日・4日と、東京都内でトークイベントが開催されました。


 同イベントについては、すでに「週間読書人」等のメディアで報告されているそうですが(筆者は未見)、本稿では主にSF評論に携わってきた者の視点から、簡単な所感をレポートすることを趣旨としています。
 基本的に記録は筆者の記憶とメモに基づいているため、順番が前後したり事実誤認等が入り混じる可能性については、あらかじめお断りしておきます。


 いまだ『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』を未読の方は、筆者が発売直後に書いた紹介文、あるいは発売記念イベントの模様を参照ください:


●ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(都甲幸治/久保尚美訳、新潮社):SFとRPG魔術的リアリズムのハイブリッドが生んだ新しい文学! (Analog Game Studies)
http://analoggamestudies.seesaa.net/article/187896045.html


●ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』発売記念「都甲幸治×岸本佐知子」ミニトークライブ(Analog Game Studies)
http://analoggamestudies.seesaa.net/article/204711432.html


 さて、お読みになった方ならばおわかりかと思いますが、『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』はただならぬテクストであり、さまざまな解釈を許容するものです。
 上述のレビューにおいて筆者は、主として「共同ゲームデザイン」(高橋志行)というルドロジー(ゲーム学)の観点から考察を行ないました。
 しかし一方で円城塔氏のように、多数の言語がせめぎ合うものとして該作を見る向きもありますし(「新潮」2011年5月号)、あるいは佐藤亜紀氏のように「創作講座」とサルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』の文脈でもって該作を捉える見方もあります(「独楽日記」第42回『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』「ミステリマガジン」2011年6月号)。
 また、巽孝之氏は、「「地には平和を」の半世紀――または小松文学の闘争――」において、小松左京作品の出発点における日本の戦後と、ドミニカの苦闘の歴史に重ね合わせ、地球という惑星の未来と連動させる離れ業を見せています(「小松左京マガジン」42号)。
 文字通り世界史的な文脈を背景にした『オスカー・ワオ』は、それだけ巨大なテクストなのでしょう。


 今回、8月3日、於東京・青山ブックセンターにて開催された都甲幸治氏との対談「ジュノ・ディアス来日記念トークショー」においては、主としてライフヒストリーという観点からの切り込みが行なわれました。
 ただ対談そのものは終始、和やかな雰囲気でした。ディアス氏の側に通訳は挟んでいたものの、聞き手の都甲氏は基本的に質問事項を自ら英語に翻訳し、伝達を行なっていた点が特徴的でしょうか。
 対談が進むうえで、ディアス氏はかような「翻訳」の過程それ自体を、自ら育ったドミニカ系アメリカ人という家庭環境に重ね合わせたのですが、その飄々とした語り口は、テクストに込められたある種の切実さとは意図して距離を取ったものであるようにも感じられました。
 例えばディアス氏はデビュー作の『ハイウェイとゴミ溜め』より11年の時を経て『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』を書き上げたといいます。しかしその間、無為に過ごしていたわけではなく、毎日を執筆に充てていたそうです。最終的には2800枚にまで膨れ上がった原稿を、380枚にまで切り詰めたものが、現在私たちが眼にすることのできるテクストとなっているのですが、ディアス氏はこうした苦悩の堆積を「3人ガールフレンドが替わり、5つアパートメントを引っ越し、2回仕事を変わり、2回編集者が……」と、いとも軽妙に、いかにも村上春樹的な言い回しをもって語るのです(『オスカー・ワオ』の第1章の表題は、村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』のもじりとなっています)。


 「小説は“完璧”ではありえない」と告げ、基本的に短編型の書き手だと自認するディアス氏。
 虐殺行為(ジェノサイド)に象徴される「大きな物語」を描くにあたっても、女性キャラクターの表現を練るといったレベルから、記述を積み重ねていくといいます。女性の描写を、当の女性に「悪くない」というレベルにまで高めることを願い、研鑽を続ける氏の姿勢は、作家というよりは職人の気概を感じさせました。
 作品世界の形成にあたっては、兄・ラファエルが大きな影響を及ぼしたといいます。彼は、母の友人すら魅了するほどの美貌で知られていましたが、オスカーという“Funny”なキャラクターの眼を通して描かれる世界は、ラファエルの「恵まれた」世界観では掬い取ることのできないものを表現しようという側面もあったようです。
 つまり、常に美女に囲まれており、社会的にもやすやすと成功を収めたラファエルの世界は、単純で純粋ですが、一方でディアスの生きるカリブ的世界は、言語とアイデンティティの混交を常に意識させられるクレオール的世界。こうした対比構造は、『オスカー・ワオ』のテクスト内において、多様な層のもとに拡張されて織り込まれていたように思います。
 総じて、アットホームな雰囲気のなかにも、作家の苦闘が垣間見えるイベントでした。
 なお、ケヴィン・スミス監督にて、舞台となるニュージャージーの雰囲気を活かした形で『オスカー・ワオ』の映画化が計画されているとも明らかにされました。こちらも大いに期待できそうです。


 翌日の8月4日には、東京は溜池山王にある日本財団ビルにて、「オタク・災害・クレオール」と題し、フランス文学者の小野正嗣氏を交えた三人での対談が行なわれました。
 この日は前日とはうって変わって真面目(シリアス)な雰囲気。「経験の喪失」(ベンヤミン)という言葉が引き合いに出され、日本という特異な地勢、新自由主義経済がもたらす文化の均質化、そして文学の危機という話題から、ポップ・カルチャーにおける「責任」の所在とジャンクゆえの「治癒」、あるいはカタストロフに備えての「知恵」を伝達する効果について語られました。
 また、ディアス氏は、東日本大震災にただならぬ関心を寄せており、日帰りで(被災地の)石巻市にまで出かけ、その様子を自らの目に焼き付けてきたと言います。氏はハイチ大地震の記事を書いたこともあり(http://www.bostonreview.net/BR36.3/junot_diaz_apocalypse_haiti_earthquake.php)、
「一人の人間として事態を知り、災害の生き証人になりたい」との思いから、災害に関心を持ち続けているとのことです。
 氏は語ります。災害によって、「暗い力」が明らかになると。
 こうした「暗い力」は、『オスカー・ワオ』においては「フク」として語られますが、政治的な「暗い力」は芸術というアプローチを持ってこそ、十全に語ることができるとディアス氏は考えているようでした。こうした「誰も証言できない暗い穴」について語ることが、ディアス氏の重要な動機となっている印象を強く受けました。


 ディアス氏がポップ・カルチャーを重要視するのは、冷戦時代における「核」の恐怖を、ポップ・カルチャーが的確に表象していたからというのが出発点にあるようですが、さりとて氏は、ポップ・カルチャーの受容について、批評的な視座を崩しません。
 会場から寄せられた「『オスカー・ワオ』に出てくるポップ・カルチャーは、それが「古き良き時代のもの」として描かれていることからもわかるとおり、ポップ・カルチャーの勃興期に垣間見えた、ひとつのオルタナティヴな空間(あるいは共同体)を体現しているのではないか」という質問に対しても、オスカーが『指輪物語』における人種差別的構造へ気がついてしまうシーン(日本語版P.368)を例に出すことで、氏は、『指輪物語』でさえそのような部分があるのだから、いわんや、と、ポップ・カルチャーの多くが、性的・政治的・あるいは人種的な差別構造を無自覚に内包していると告げるのです。
「だって、誰もアニメのヒロインになってみたいとは思わないだろう?」
 ディアス氏の指摘は、日本におけるポップ・カルチャー、そしてポップ・カルチャーと密接に関わってきたSF的想像力が往々にして脱政治的な形で発展を遂げることにより、自らの方法論で何が隠蔽されてきたかについて見て見ぬふりを続けてきた点を、鋭く抉り出しています。これは、SFファン一人ひとりが、自分の問題として考えるべきポイントであるのは間違いないでしょう。


 そのほか、裏表を持たない存在であるというオスカーと、常に「仮面」をつけて人に接しているオスカーの友人ユニオールとの対比が語られたり、あるいは「作家として書き続けるためには、志を同じくする仲間との切磋琢磨が重要だ」と、作家修行のための持論を開陳する場面もありました。

 対談が終わると、続いてディアス氏の自作朗読に移りました。
 「朗読は上手じゃないから、早く切上げたい」と謙遜するディアス氏ですが、実際に読み上げられた『オスカー・ワオ』の第二章「原始林」(Wildwood)の冒頭部は、女性一人称によるモノローグというスタイルと、ディアス氏の落ち着いた明瞭な発音が見事に相俟って、会場を存分に魅了したのでした。


 さて、これまで二日間に渡るイベントの概要をざっくり紹介してきました。
 以降は余談(僭越ながら、自慢話めいた内容も含まれるため、そうしたものが苦手な方は、どうぞご注意ください)。


 イベント終了後、幸運にも、都甲氏の紹介により、ディアス氏と直接対話する機会を与えていただきました。
 都甲氏はまず、『オスカー・ワオ』の翻訳協力者(注釈者)、そして作中に何度も登場するロールプレイングゲームである『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の翻訳者、およびSF評論家として筆者を紹介してくれたのですが、それを聞いたディアス氏は、茶目っ気たっぷりにこう切り出したのでした。


「それなら、これが何なのか知っているかい? “Skyrealms of ……”」
「わかりました。『スカイレルムス・オブ・ザ・ジョルーン』、そして「ドウベン・アル」ですね!
(『スカイレルムス・オブ・ザ・ジョルーン』、そして「ドウベン・アル」とは、何を意味しているのでしょう。興味ある方は、ぜひ『オスカー・ワオ』を調べてみてください。ディアス氏からのクイズですよ)


 この返答を聞いたディアス氏は「今まで翻訳に携わった者のなかで、この固有名詞が何なのか当てたのは、君が初めてだよ!」と大喜び(エッヘン!)。都甲幸治氏があとがきに記した「世界初、読んでわかる『オスカー・ワオ』」という啖呵に確固たる裏づけが得られたという次第です。


 続いて、ご褒美というわけか、思いも見なかった一言が繰り出しました。
サミュエル・R・ディレイニーを知っているかい?」


 『オスカー・ワオ』を読んだ方ならば、作中で一度だけディレイニーの名前が言及されたことをご記憶かもしれません。
 黒人で、ゲイ。妻のマリリン・ハッカーとの奇妙な関係。ニューウェーヴSFを牽引した書き手。サイボーグ・フェミニズムの果敢なる擁護者。そしてなんといってもスペキュレイティヴ・フィクションの最前線に立ち続けている作家。
 そのディレイニーがディアスと文学的交流があり、よく文学の話をしたり、一緒に食事をとったりするという事実を聞かされ、筆者は柄にもなく興奮してしまいました。
 筆者はディアス氏へのプレゼントとして、映画『復活の日』封切り時に母親が購入した原作本を謹呈したところ、「日本でもらった贈り物でいちばん嬉しい」と尋常ではない喜びよう。またディアス氏は、小松左京と『オスカー・ワオ』を比較検討した巽孝之氏の論考についても大いに関心を寄せ、持参した「小松左京マガジン」の表紙を、iPhoneに収めておりました。


 ちなみにディアス氏がもっとも好きなディレイニー作品は『アインシュタイン交点』とのことでした。
 その後、『ダールグレン』の邦訳が出たばかりだということを知った氏が、青山ブックセンターのSF売り場へ走ったのは言うまでもありません。(岡和田晃

オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (新潮クレスト・ブックス)

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