※本記事は「21世紀、SF評論」へ2011年7月20日に掲載された記事の再掲である。
「21世紀、SF評論」をお読みの方であれば、『虐殺器官』『ハーモニー』等で知られる作家の伊藤計劃さんが日本人で初めて英語圏のSF賞(フィリップ・K・ディック記念特別賞)を受賞したことはとうにご存知かもしれません。
「SFマガジン」2011年7月号において「伊藤計劃以後」という特集が組まれたことからもわかるとおり、その仕事の意義は本人亡き後も高まるばかりです。もはや現代SFのひとつの里程標と呼んでも過言ではないように思います。
一方、伊藤計劃さんの仕事は、ふだんSFに馴染みがない人たちにも大きなインパクトを与えました。そこで今回は「地域新聞 東葉版」(地域新聞社)の2面に掲載された、ディック賞の受賞を報じながら、伊藤計劃さんのライフ・ヒストリーに焦点を当てた新聞記事をご紹介したいと思います。
一般の生活者を対象とした記事でありながら、SF界ではあまり紹介されてこなかった、作家の、一人の人間として地元を生きる姿が簡潔かつ明快に映しだされています。伊藤文学の出発点を感じていただければ幸いです。
それでは以下、執筆者の「カメ」さんの許可をいただき、当該記事を全文転載させていただきます。(岡和田晃)
米SF小説特別賞受賞 日本人初の快挙 八千代市の故・伊藤計劃さん
2009年3月、多くのファンに惜しまれながら、SF作家の伊藤計劃さんは肺がんのためこの世を去った。34歳だった。
彼の最後の長編『ハーモニー』は国内外で高く評価され、故人として初めて日本SF大賞を受賞。そして今年、アメリカのフィリップ・K・ディック記念特別賞を受賞した。海外で日本のSF小説が賞を受けるのは初めてのことだ。
伊藤さんは東京で生まれ、ぜんそく治療のため3歳の時に八千代市勝田台へ。そのころよく利用した路線の駅名をすべて漢字で読み書きし、周りの大人を驚かせたという。
地元の幼稚園から小・中学校へと進んだ伊藤さんは本を好み、勉強より漫画を描くことに熱中するような少年に成長した。
大学卒業後マスコミ関連の仕事に就いたが、程なくしてがんを発病。以来、入退院を繰り返す生活となる。
しかし伊藤さんは、あらゆることへ興味を持ち、それらに情熱を注いだ。退院すると会社へ出勤するかたわら、年400本を超える映画鑑賞、本で部屋を埋め尽くすほどの読書。ゲームや映画の評論家としても活躍し、2007年にはSF長編小説『虐殺器官』で作家デビューする。
『ハーモニー』は入院中、体調の良い時に書かれた作品。医学が成熟し、健康とモラルが過度に発達した社会が舞台となっている。独特の世界観とリアルな描写、練られた構成で支持が広がり、SFを読んだことがない人をも夢中にさせた。
その一方で、がんは伊藤さんの体をさらにむしばんでいった。だが病室でも山ほどの本を取り寄せ、「まだまだ書きたいことがいっぱいある」と、命を削るように原稿を書き続けた。
伊藤さんの最後のブログ更新は2009年1月。2年以上たった今もファンからの書き込みは続いている。
伊藤さんの両親は「今回の受賞は本人が一番びっくりしているはず。息子というより、伊藤計劃という作家の活躍を見ているようです。これをきっかけに彼が育った八千代市の皆さんに関心を持っていただけたらうれしいです」と著書を前に話した。
生前は静かな環境を保つために、周囲には作家活動のことをほとんど語らなかった伊藤さん。八千代市発の栄誉ある受賞を、彼のいる空に向かっておめでとうと伝えたい。(カメ)
(地域新聞社発行 地域新聞 東葉版(2011年6月17日号 Vol.1570) 総発行部数1785419部)