Speculative Japanのブログロールに加えていただきました


 拙ブログ「Flying to Wake Island」ですが、分不相応なまでのご評価をいただいた結果、なんとニューウェーヴ/スペキュレイティヴ・フィクションのサイトSpeculative Japanのブログロールに加えていただけることになりました。


 マイペースで好き勝手、混沌を混沌のままに書き綴っている(おそらくはこれからもそうなるであろう)未熟極まりないブログではありますが、今後ともよろしくお願い申し上げます。


 そういえば、このブログのタイトルは、J・G・バラードの「ウエーク島へ飛ぶわが夢」から採っています(その前は、ヴォルフガング・ヒルデスハイマーの『詐欺師の楽園』から採っていました)。
 「ウエーク島へ飛ぶわが夢」で僕がいちばん好きな部分は、やはりラストなのですが、それを書いては興醒めなので、記念として中盤あたりで気に入った部分を引用しておくことにします。
 「ウエーク島へ飛ぶわが夢」は、必ずしも肯定的な読みが導かれる作品ではありません。ある意味、希望を欠いた短編です。ただ、希望を欠いているからこそ、また見えてくるものもある。そして案外、この引用部から不気味な手触りを持って伝わってくる「不吉さ」や「不穏さ」を忘れずにいることこそが、大事だったりするのではないか。僕はそう、ぼんやりながら考えています。

 夜遅くメルヴィルはベッドルームの窓際に寝て砂浜を穏やかな海がおおっているのを眺めていた。彼はヘレン・ウィンスロプが自分を操縦席に置き去りにして、レイング博士を捜しに浜辺を走っていったことを思い出した。航空医学研究所の医師団は、三人乗りの艇内に第四の人影をみたという彼の妄想を取り除こうとしたが、レイング博士も慎重ではあったがメルヴィルの扱いに関してはさほどの成果をあげなかった。この謎の人物、人か鳥かわからないものを殺してしまったと彼は信じていた。彼は最初の宇宙空間での殺人者でもあったのだろうか? 彼は解放されてのち、外面的にはウエーク島へ向けて、内面的には意識の惑星を巡歴する大旅行をしようと決心したのである。

(J・G・バラード「ウエーク島へ飛ぶわが夢」、山野浩一野口幸夫訳、「カイエ」1978年12月号所収)