ブリューゲルへの旅

 絵の名前などは忘れてしまったけれども、卒論でブリューゲルについて書こうかと思ったこともあるくらい、ブリューゲルは好きだ。 というか『ウォーハンマーRPG』を好きな者が、ブリューゲルヒエロニムス・ボッシュが嫌いなはずはないじゃない(笑)。かつてはブリューゲルを皮切りに、なぜかわからないけれども、北方ルネサンスにまつわる高価な本(岩崎美術社の本とか)をバイト代をはたいて何冊も買ったものだった。


 癒し系という言葉に興味はないけれども、ふとした時に中野孝次の『ブリューゲルへの旅』(文春文庫)を取り出して眺めてみると、さらなる昏さを感じ取ることができて、不思議と生きる気力のようなものが沸いてくる。仮にConsolationがあるとしたら、まずは徹底して昏さを経由する必要があるとトールキンも言っていたような……。


 41歳、金もなく、ウィーンで生の沈鬱を持て余していた著者に、北方ルネサンスの昏さが、さらなる沈思黙考を強いる。文学史上においては「内向の世代」的な感性として受け止められがちなものだろうが、中野はあくまで理知的な批評眼をもってその昏さを眺める。自分の内側の昏さを直視しようとすることは、往々にして無限の堂々巡りを生み出すだけに留まるものだが、中野はブリューゲルの「暗い絵」(野間宏)を経由することでうまく距離を置いて自分というものを理解しており、そのために自家撞着の迷宮に嵌ることを未然に防げている。
 日々、私たちが生きている生活の苦しみ、怒り、沈鬱などが、そのままに描かれている世界がある。こういう世界があると是非知ってほしいと思う。知らないで済ましてしまえるのは、嫌味ではなく、幸せなことだろうが、あまり羨ましいとは思わない。

ブリューゲルへの旅 (文春文庫)

ブリューゲルへの旅 (文春文庫)