第41回日本SF大賞推薦文&『コッロールの恐怖』エントリー入り
第41回日本SF大賞に、岡和田晃は以下の5作の推薦文をエントリーいたしました。
・藤原龍一郎『202X』
藤原龍一郎は、青少年時代からの熱心なSFファン活動でも知られており、その作風もSF・ファンタジーと縁が深い。流麗かつ耽美な幻想俳人・藤原月彦名義でも近年は復活を見せ、共著『夕月譜』などSF大賞級の作品が揃っているが、その十年ぶりの新作歌集『202X』は、ジョージ・オーウェル『1984年』の悪夢を、さらに遍在させた相互監視社会のネトウヨ的な画一主義・権威主義的な現在の心性を果敢に撃つ歌が並んでいる。何より素晴らしいのは、短詩形文学の断片性が、個がモナド化した状況をピタリと表象していることだ。「政治的」に見られることを恐れ、結果的に政権の横暴を追認しかねない現在の風潮に「SF」的に過激な批評性で風穴を開ける一冊だ。
・図子慧「残像の女」
図子慧の『愛は、こぼれるqの音色』は、音楽と性愛を重要なモチーフとし、SFとミステリの境界を飛び越えようとする試みだった。本作はその前日譚だが、モダンホラーの衣装を利用しながら、現代医学への旺盛な関心を隠さない。自らのアイデンティティを取り戻そうという試みは、ポストヒューマンSFにも通じる問題意識が見え隠れする。ジャンルを横断する表層批評の小説的実践、とでも形容したくなるような味わいがある。近年の図子はノンフィクションや短編、電子書籍でも精力的な活動をしているが、それを代表する一作として本作を推したい。
・樺山三英「post script」
第33回日本SF大賞の最終候補作となった樺山三英の『ゴースト・オブ・ユートピア』の実質的な続編ともいうべき作品が本作で、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの「バベルの図書館」を、正面からアップデートさせた野心作になっている。「本」が自律した宇宙として語られるワイドスクリーン・バロックにも通じるメタレベルの愉悦を堪能できる逸品ながら、「貨幣」の回路、すなわち高度資本主義そのものにも批評的懐疑を投げかけている。SF大賞ではしばしば無理解な評にも晒されてきた樺山の再評価を強く訴えたい。
・フーゴ・ハル(著)、奥谷道草(訳)「失物之城 ピレネーの魔城・異聞」
世紀の奇書『魔城の迷宮』は、『ウィザードリィ』風の3Dダンジョンを、何百枚もの手書きの鉛筆画で再現してしまう逸品だった。そこでは、イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』が意識されていたが、本作はなんと、その実質的な続編(のスピンオフ?)に相当する。今回のモチーフはルネ・マグリットのシュルレアリスム絵画『ピレネーの城』だが、平面的な文字の連なりでしかない小説において宙に浮く立体をどのように表現するか、タイポグラフィを駆使した技術の妙が光る。これぞ本当のセンス・オブ・ワンダー! 近年は梧桐重枝等、フォロワーを公言する作家すら生まれてきたフーゴ・ハルのSF性を、この場で今一度強調しておきたい。
・グレアム・ボトリー編著『ヒーロー・コンパニオン』(安田均監修、こあらだまり/春駒篤訳)
ゲームブックを原作とするゴシック・ファンタジーRPG『アドバンスト・ファイティング・ファンタジー』第2版は、オールドスクール・ファンタジーRPGの1タイトルのノスタルジックなリヴァイヴァルという枠を超えて、新たな挑戦を打ち出している野心作だ。本作では死霊術、仮面魔術、混沌魔術といった追加呪文、雇い人や賃金、資産のルールも面白いが、なんといっても大規模戦闘とウィルダネス・アドベンチャーのルールが素晴らしい。これにより、冒険の舞台となる野外のフィールドを気軽にデザインし、そこで起こる戦争状況を簡単にシミュレーションすることが可能になったのだから。『ファイティング・ファンタジー』シリーズは、ジョージ・マクドナルド、J・R・R・トールキンやC・S・ルイスからジュブナイル・ファンタジーから、アラン・ガーナー、ローズマリー・サトクリフといったイギリス児童文学ファンタジーの伝統を下敷きにしているが、本作によってハイ・ファンタジー全般といっそう強く響き合いを見せることが明らかになった。
なお、『コッロールの恐怖』を、吉里川さんがエントリーしてくださっておりました。ありがとうございます!