藤田直哉氏の発言に関して

 藤田直哉氏が2015年12月8日付けのTwitter上での発言(https://twitter.com/naoya_fujita/status/674026006043201536)で、「岡和田晃はぼくに盗作疑惑をでっちあげ、出版社に対して連載を終了させるように迫った。」と述べています。
 この件に関してですが、岡和田晃は、文筆に携わる者として道義にもとる行為をしてはおりません。また、それによって「出版社に対して連載を終了させるように迫った」事実は存在しません。


 2015年12月9日 岡和田晃


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 2015年12月10日追記:上記のツィートを掲載していたTogetterのまとめ記事「【日本SF作家クラブのトラブル話は終わっていなかった】藤田直哉さんによる実名を含めた爆弾発言が投下される」(http://togetter.com/li/91004)が、「利用規約に基づき非公開」となりました(23:50確認)。私が最後に確認した時点でPV数は35000を超えており、多大な迷惑を被っておりましたので、Togetter事務局の賢明なる対応に感謝します。

 ※なお、こうした事実とは異なる内容をSNSで吹聴されるなどしたため、私は藤田直哉氏が関わる仕事は、事前に判明した場合、一切お断りしています。

「SFマガジン」2015年12月号の「てれぽーと」欄に掲載いただきました。

 「SFマガジン」2015年12月号にて、同10月号の論考「ボンクラ青春SFとしての『虐殺器官』〜以後とか以前とか最初に言い出したのは誰なのかしら?〜」(前島賢)に顕著な、ある種の論調に対して、批判と問題提起を行いました。この問題は雑誌という公器におけるパブリックな議論として進めていくのが最良と判断したからです。詳細は12月号の「てれぽーと」欄をご覧ください。「SFマガジン」はこの「てれぽーと」欄(投書、意見交換欄)で意見表明をするという伝統的な文化があり、過去、私も何度か活用させていただきました。実に貴重なものだと思います。
 拙稿を掲載に値すると判断いただいた編集部、コメントをいただいた塩澤編集長、読んだよと連絡を下さった方々にこの場を借りて感謝いたします。

2015.12.30追記:翌日2016年2月号の「てれぽーと」欄には前島氏の反論はなかったのを確認しました。この事実をもって、私が批判した「界隈」が、無根拠な放言を繰り返していることが、立証されたに等しいと、私は受け取りました。

「三重県志摩市公認萌えキャラクター「碧志摩メグ」の公認撤回を求める署名活動」に賛同します&笙野頼子さんのコメント

 私はChange.orgで繰り広げられている「三重県志摩市公認萌えキャラクター「碧志摩メグ」の公認撤回を求める署名活動」に賛同しています。海女という職業が春画の時代から性的な表象を付されてきた歴史的経緯を鑑みれば、どう見ても行政がその負の歴史を黙殺していると、解釈せざるをえないからです。(なぜか服の上からでも透けて見える)乳首や性器が出てこないのでOK、という類の言い逃れが仮にあるのであれば、そんな屁理屈は通用しないと心得るべきでしょう。
 ふだん署名の際には、私は純粋に「数の一員」であることが大事だと思ってコメントは書かないのですけど、地元ご出身の笙野頼子さんがコメントを寄せておられ、内容的に重要性がきわめて高いものと考えます。もとのサイトだとすでに掘り出すのが困難になってしまっているので、こちらに採録しておきます(読みやすくするためレイアウトを少し整形しています)。

 三重県出身の文学者です。大昔確か芥川賞を受賞した二十年以上も前、県の国際化委員とやらになってくれと頼まれ断っています。そしてその後の、国際観光都市の今のレベルが、結局はこれ、ということなのでしょうか。ひどすぎます。
 いわゆる性表現の自由の問題以前でしょう。つまり、1公的機関が2特定の職業の女性について3その女性がまだ子供のうちから4性的玩具とみなせと推奨している。5じつに明らかな職業差別。
 そんな差別による性的侮辱を公的権力が行っている。
 私が三重県にいたころの記憶だと、海女の方は頭脳明晰で勇敢、我慢強く、母系を大切にし、家計を支え、身内の女の子に技術とプライドを伝授する存在であった。かつての男尊女卑の時代や風潮の中でさえも、女の子が生まれると祝福し喜んだ。また海女はベテランほど尊敬されてきた。なぜその代表キャラが見習いなのか。市長は海女が少数派であることから、選挙にひびかないとなめてかかり、特定の職業の女性をつぶしにかかったのか。なんという卑怯な弱い者いじめだろう。これでは国際観光都市どころか国辱談合都市、いい笑いものです。
 (笙野頼子
 もっと長く書きたいのですがあまりにパソコンに弱く、ネットの署名でも失敗しそうなのでこのくらいにしておきます。私はニュースに気付くのが遅かったのですが、それでも体調が悪くなりました。皆様さぞかしお疲れのことと存じます。どうかお体をお大切に。
 なお、メールアドレスは絶対非公開でお願いいたします。

砂澤陣氏のブログ「後進民族アイヌ」の著作権侵害と誹謗中傷に抗議します

 砂澤陣氏が、自身の運営するブログ「後進民族アイヌ」における2015年3月26日のエントリ「東京新聞・林啓太とジャーナリスト岡和田晃達の腐臭・其の壱」にて、岡和田晃東京新聞(2015年3月23日夕刊)に寄せた「アイヌ民族否定論の背景」記事の全文を、写真という形で、こちらに断りなく誰にでも見られる具合に違法なアップロードをしています。
 のみならず、「正義の味方を演じたい偽善記者と自称ジャーナリスト」、「自分達が正義と思い込めば、それが嘘であろうが出まかせであろうがルールを無視してでも正義の代弁者を演出したいらしい。」などと、無根拠な誹謗中傷を行っています。


・後進民族アイヌ、2015年3月26日のエントリ「東京新聞・林啓太とジャーナリスト岡和田晃達の腐臭・其の壱」
http://koushinminzoku.blog117.fc2.com/blog-entry-343.html#cm


 新聞著作権協議会が明示しているように、新聞記事には著作権が働いており、とりわけ「後進民族アイヌ」でなされているような誹謗中傷のために無断で使われるのは、許されるものではありません。
 さらには、岡和田晃は当該ブログ記事のタイトルおよび本文にあるような「ジャーナリスト」と「自称」したことは一度もなく(記事内のプロフィールでもそのような肩書は用いられていません)、加えて砂澤陣氏はTwitterでは、私を「東京新聞の記者」と言っています。このように支離滅裂なので、そもそも記事をまともに読めていない(読んでいない)と指摘されても、やむをえないでしょう。実際の「後進民族アイヌ」内での批判とされるものについても、「何ら取材をせず」、「欠片も取材せずに」などと書くだけで、まるで具体的な根拠を伴わず、誹謗中傷の域を出るものではありません。

 また、別に難癖をつけられている部分について、東京新聞の「アイヌ民族否定論の背景」の記事内で個人名を伏せているのは、媒体の意向によるものだと、2015年3月24日の時点で私は明記しています
 

 以上の理由により、岡和田晃は砂澤陣氏および「後進民族アイヌ」の著作権侵害と誹謗中傷に強く抗議します。


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 2015年3月26日
 岡和田晃
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追記1:同エントリで、非公開の「本名」が無断で(かつ、中途半端に)暴露されている香山リカ氏のツィートも、参考にご紹介しておきます。


追記2:問題点がFC2事務局に認められ、当該エントリごと削除されました(3/26、17:32確認)。拡散いただいた皆さん、ありがとうございました。


追記3:全文転載を除いて記事が再度アップされたようです(3/27、9:10確認)。しかし、砂澤陣氏と「後進民族アイヌ」が著作権を侵害し誹謗中傷を行なったことが認められた、という事実は確かに残りました。

「SFマガジン」2014年8月号のオールタイム・ベストSFのプロ投票に参加しています。

 「SFマガジン」2014年8月号の「オールタイム・ベストSF」にプロとして参加しています。とはいえ、とても絞りきれませんので、選考基準については、「原則として一人の作家につき一作品」、「SFプロパーという自認がある書き手(SF専門誌掲載なので)」という縛りをかけています。その他、カテゴリーごとに明確なコンセプトワークを設定いたしました。これは「隠し味」で、記名投票というのはそこを見るのが面白いと思いますから、ブログでネタを割ることは避ける次第です。

S-Fマガジン 2014年 08月号

S-Fマガジン 2014年 08月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2014/06/25
  • メディア: 雑誌
 また、同号には「SFセミナー2014」のレポートが掲載されています。私が司会をつとめた昼企画2コマ目、「「世界内戦」下、SFに何ができるか」は、鈴木力さんがレポートを執筆されています。このレポート内で、仁木稔さんのウェブログにある「岡和田晃氏への応答」が紹介されています(なお、レポート掲載を受けて、仁木さんは「あくまで岡和田氏の評論(およびSFセミナーでの発言)に触発されたわたしの意見で、氏の考えを否定するものではない」という補足もなされています)。
 この「応答」について色々と思うところはありますが、岡和田からの具体的な再応答については別のイベントで行うことができたらということで調整し、前向きに進行しております。正式に決まり次第、告知させていただきます。
 関係して、仁木稔さんのウェブログにある「SFセミナー2014レポート」について、事実誤認らしき箇所について、私の立場から訂正をさせていただきます。
 まず質問内容についてですが、岡和田が仁木稔さんと樺山三英さんに「事前打ち合わせにない質問をしてきた」という記述は遺憾というほかなく、私がこれまで各種イベントに出演してきた経験を鑑みても、質問内容は充分に事前相談の内容の範囲に含まれていると、自信をもって言うことができます。
 続いて、夜の部一コマ目の企画出演について仁木さんが知らなかったということですが、この点について事実のみを書いておきますと、SFセミナーは例年夜の部一コマ目は昼の部の続きとなっており、仁木さんは過去にも何回か、合宿企画の参加経験があります。加えて私からも仁木稔さんに、企画出演について事前に電話でお伝えしておりました。

【追記】2014年10月に行われた日本近代文学会のパネル「〈世界内戦〉と現代文学」が、「SFセミナー2014」の実質的な後続企画でした。

sfwj.jp

“論考が気に入らないから執筆者を殺せ”という暴言へ抗議します


 先だって「Book News」に掲載いただいた拙稿「SF・評論入門3:「伊藤計劃以後」とハイ・ファンタジーの危機――未来は『十三番目の王子』の先にある!」について、公開後、Twitter等のソーシャルメディアや個人メールにて、各方面から反響があり、さまざまな方からご意見・ご感想をいただくことができました。
 寄せられた反響からは多くを学ぶことができ、粗削りな試論ながら公開した意義はあったと愚考しています。
 逐一追えてはいませんが、感想をいただいた皆さま、そして拙文をお読みいただいた皆さまに、心より感謝します。


 ただし、ご批判のなかには、残念ながら常軌を逸したものがあります。
 書き手について「死ね」と書きつける方がいらっしゃるのです。
 たとえば、魂木波流(@ninian_oneil)氏はTwitter上で、次のように述べておられます。

さっきからこれについてなんやかや言ってるんだけど、ちょっと今死ねばいいのにくらいに思ってる。>SF・評論入門3:「伊藤計劃以後」とハイ・ファンタジーの危機――未来は『十三番目の王子』の先にある!:岡和田晃
https://twitter.com/ninian_oneill/status/358271645225467904

 「死ね(ばいいのに)」。これは、許される言葉なのでしょうか。
 ただ、魂木波流(@ninian_oneil)氏は、前後のTweetでご自分のファンタジー観を述べておられます。それが「SF・評論入門3」と見合わなかったがゆえに言葉が過ぎた、という見方もできないこともなく、特にめくじらを立てるほどではないかもしれません。


 しかし、次に見る鉄山幸浩(@poponcar)という方のTweetはどうでしょう。

クソ読書感想文だ! 石を投げろー!! http://www.n11books.com/archives/30455265.html
https://twitter.com/poponcar/status/358215256125865987

面白おかしく言ってみたけど岡和田をいい加減黙らせろってことですよ。具体的には体が冷たくなるまで石をぶつけ続けるとかの方法で。
https://twitter.com/poponcar/status/358215916229627906)(https://mobile.twitter.com/poponcar/status/358215916229627906

 鉄山幸浩(@poponcar)氏のTweetでは、「SF・評論入門3」の内容の批判の度を越え、「具体的には体が冷たくなるまで石をぶつけ続けるとかの方法」で「岡和田をいい加減黙らせろ」と書かれており、特定個人を物理的に殺害するよう不特定多数へ教唆する文章になっています。


 いかなる理由があれども、特定個人を殺すように煽動する発言は、決して許されないでしょう。
 これは「言論の自由」とは、まったく別の話です。それは言説の根本を破壊する行為だからです。
 大げさに思われる方もいるかもしれません。また、「死ね」「殺せ」と言われたからといっても、ただちに人は死にません。
 けれども、憎悪をもって投げかけられた「死ね」「殺せ」という言葉が野放しにされた結果、それが新たな憎悪を誘発し、秘められた暴力性が不意に爆発することで、やがて現実に「死」をもたらすという事態は、もはや珍しいことではなくなっています。
 ゆえに私は文芸批評を手がける一個の人間として、このような殺人教唆ソーシャルメディアを悪用した極度に暴力的な発言に、強く抗議いたします。


 乱文をお読みいただいた皆さまに、深く御礼申し上げます。

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 2013年7月24日

  岡和田晃

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*2013/7/24、25、27 一部修正、題も修正しました。

Togetterまとめ「ホラーとミステリの相性の悪さ??」に抗議します

 TogetterというTwitterの発言をまとめるウェブサービスが存在するのをご存知でしょうか。
 そのTogetterに「ホラーとミステリの相性の悪さ??」というまとめがあると、Twitterのタイムラインで回ってきたのですが、実際に覗いてみて驚きました。
 私のTwitterでの発言が、読む人の誤解を招くような文脈で配置されていたのです。 


・Togetterまとめ「ホラーとミステリの相性の悪さ??」
http://togetter.com/li/370949


 もともとは、希有馬氏(@KEUMAYA)の発言、

“この世には「ホラーとミステリは相性が悪い」なんて世迷い言を吐く自称文芸評論家がいるのか……ネットは広大すぎる………Zガンダム種死のパクリ以来の衝撃”(https://twitter.com/KEUMAYA/status/245056488505241600

という発言を出発点と解釈した当該Togetter記事の編集者、ダグラスオウヤン星団(@D_Ouyang、https://twitter.com/D_Ouyang)という方(フォロー数と被フォロー数、ツィート数すべてゼロ、自己紹介もないので、どういう方かは不明)が、希有馬氏の言う“「ホラーとミステリは相性が悪い」なんて世迷い言を吐く自称文芸評論家”が私のことを指していると認識し、独自の判断で編集を行なったようです。


 ところが、私は“ホラーとミステリは相性が悪い”などと、一言もTwitterに書いてはおりません。
 私が書いたのは、

“(前略)「ミステリ」と「ホラー」は原理的に相反するものなので、考察がきわめて困難です。にもかかわらず、『火刑法廷』のような融合例がある。私の見解は『21世紀探偵小説』収録論文にまとめました。”(https://twitter.com/orionaveugle/status/244663610738098176

 ということです。
 この“「ミステリ」と「ホラー」は原理的に相反する”という箇所を、もう少し噛み砕いて説明しますと、“「ホラー」は読者に恐怖を与えるが、「ミステリ」はそうした恐怖へ合理的な解決をもたらす”がゆえに、片方の要素に比重をかければ、もう片方がなおざりになってしまうことを意味します。私が“「ホラー」の原理と「ミステリ」の原理は相容れない”と思ったのは、ひとえに、このためです。むろん、これはあくまで原理ですので単純化していますが、煎じ詰めればこの対立が、「ミステリ」と「ホラー」の関係をきちんと論じることを難航させているものと思います*1。現に、「ミステリ」と「ホラー」という二項の軸だけで考えるのでは、すぐに行き詰ってしまうでしょう。


 私がこの問題を考える突破口になりうると考えたのは、ベテランのミステリ作家で、自身、多数の評論を書いてもいる島田荘司氏の評論です。氏は、評論集『21世紀本格宣言』で、ミステリを「論理軸(論理−情緒)」と「幻想軸(幻想−現実)」の二軸をもってチャート式(四象限)に分類しました。四象限のどこに位置するのか、「論理軸」と「幻想軸」に挟まれた一つのグラデーションとして、小説を捉えることができるようになりました。

21世紀本格宣言 (講談社文庫)

21世紀本格宣言 (講談社文庫)

 この考え方は、「ミステリ」や「ホラー」の境界を考えるためのツールとしても有用だと思い、私は論集『21世紀探偵小説』に収録された拙稿「現代「伝奇ミステリ」論――『火刑法廷』から〈刀城言耶〉シリーズまで」では、この島田荘司氏の分類などを参考にしつつ*2、“「ミステリ」と「ホラー」の融合”を創作の出発点に置いたという作家・三津田信三氏の発言を皮切りに、「ミステリ」と「ホラー」の境界を――ゴシック小説やエドガー・アラン・ポーコナン・ドイルの時代にまで遡行して――作品と引き比べながら具体的に論じています。拙い部分は多々あると思いますが、少なくとも、ひとつの叩き台を作ることができたのではないかと自負しております。
 「現代「伝奇ミステリ」論」で中心的に扱われるのは、主にジョン・ディクスン・カー『火刑法廷』、ウンベルト・エーコ薔薇の名前』、二階堂黎人『聖アウスラ修道院の惨劇』、京極夏彦百鬼夜行〉シリーズ、道尾秀介『背の眼』、古泉迦十『火蛾』、殊能将之黒い仏』や『樒/榁』、テレビドラマ『TRICK』、麻耶雄嵩『隻眼の少女』、そして三津田信三〈刀城言耶〉シリーズなど。「新本格」(第三の波)以降の日本作家が中心です。その際のキーワードは、例えば横溝正史の〈金田一耕助〉シリーズのような「伝奇ミステリ」です。
21世紀探偵小説 ポスト新本格と論理の崩壊

21世紀探偵小説 ポスト新本格と論理の崩壊

 なお、拙ツィートにも書いていますが、なかでも「ミステリ」と「ホラー」の関係を考えるうえで、ジョン・ディクスン・カーの『火刑法廷』が重要です。これは、「ミステリ」と「ホラー」を完璧なバランスで融合させるという、きわめて困難な試みを成功させた逸品でしょう(【以下ネタバレ注意】)。
火刑法廷 (ハヤカワ・ミステリ文庫 5-1)

火刑法廷 (ハヤカワ・ミステリ文庫 5-1)

 驚くべきことに、この作品は「ホラー」として読んでも首尾一貫しており、同じ話をそのまま「ミステリ」として読んでも、きちんと整合性がとれているのです。『火刑法廷』は実際、よく、錯視をもたらす騙し絵「ルービンの壷」に準えられます(http://www.brl.ntt.co.jp/IllusionForum/v/rubinsVase/ja/index.html)。
 「ホラー」と「ミステリ」の融合を真摯に考えた〈刀城言耶〉シリーズは、はたして『火刑法廷』を超えることができたのか。拙論の裏テーマは、ずばり、そのことです。
幽女の如き怨むもの (ミステリー・リーグ)

幽女の如き怨むもの (ミステリー・リーグ)


 もとよりTwitterは長文を書くのに向いたメディアではありません。それゆえ、拙ツィートでは、(私の考えを詳しく説明した)このテーマでまとまった論文が収められている出典を示すことで、詳細の解説にかえさせていただきました。


 にもかかわらず、このTogetterによって、私があたかも「ホラーとミステリが相性が悪い」と触れ回っているような印象操作がなされ、実際のところ私がどう考えたかなどまるで考慮されず、話が一人歩きするような事態がもたらされてしまっています。そもそも、希有馬氏が示した「自称文芸評論家」が、私のことだと明示されていないにもかかわらず、です*3 9/11の正午時点で、ページビューは8500近くにのぼり(追記:後に10000を突破)、Togetter記事の印象操作を真に受けてしまっているような例が、残念ながら、多々見受けられています。


 私は文芸批評を手がける一個の人間として、このようなデマゴギーに、強く抗議します。
 「ミステリ」と「ホラー」について、いくら議論を重ねようと、ただちに人は死にません。しかしながら、“言っていないことをあたかも言っているように伝播させる”デマゴギーそのものは、ともすれば、実際に人を殺しうるだけの危険性を秘めているからです。いささか大げさかもしれませんが、故・伊藤計劃氏が『虐殺器官』で描いた「虐殺の言語」は、あなたのすぐそばにあるのです。
 少なくともこの抗議文によって、「ミステリ」と「ホラー」の関係が、より生産的に論じられるような環境が訪れることを、巻き込まれた当事者として祈念する次第です。


 乱文、長文をお読みいただき、深く御礼申し上げます。


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 2012年9月11日 アメリカ同時多発テロ事件から11年目の日に
  岡和田晃

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※2011/9/11;一部追記・表現を修正しました。

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【2012/9/12追記】


 事態に進展がありましたので、追記という形で取り急ぎご報告いたします。

 9/12正午時点で、問題としたTogetterまとめ「ホラーとミステリの相性の悪さ??」(http://togetter.com/li/370949)が削除されているのを確認しました。
 加えて、当該記事をまとめたTwitterアカウントであるダグラスオウヤン星団(@D_Ouyang、https://twitter.com/D_Ouyang)氏(フォロー数と被フォロー数、ツィート数すべてゼロ、自己紹介もないので、どういう方かは不明)はTwitterアカウントそのものを削除されたようです。

 本記事の拡散にご協力、ご声援をいただいた皆様、ご意見をお寄せいただいた皆様に、深く感謝します(Twitterでの関連Tweetは90RT強のご協力をいただきました)。今後も岡和田晃の仕事につきまして、ご理解とご支援のほどを、何卒よろしくお願い申し上げます。


 岡和田晃

*1:なお、ここでの「ミステリ」とは、ミステリ評論の主題となりうることが多い「本格ミステリ」を指しています

*2:ただし、直接にチャート式で作品を分類しているわけではありません。あくまで個別に論じています

*3:岡和田晃は商業媒体で継続的に評論の仕事をしており、その意味で「自称」ではありません