不信の時代 


 ナタリー・サロートの批評集『不信の時代』(紀伊国屋書店)の冒頭に、「ドストエフスキーからカフカへ」という論文が収録されている。19世紀小説(ドストエフスキー)から20世紀小説(カフカ)、そしてそれ以降の「ヌーヴォー・ロマン」へと、小説のカタチが変化していく路程を明確に示している意味で、非常に優れた批評だ。


 サロートが鍵としているのは、おそらくは心理描写である。心理描写を切り口として、文学史を単線的に整理してくれているのだ。
 しかし、「ヌーヴォー・ロマン」の領袖たるアラン・ロブ=グリエが書いたエッセイ『新しい小説のために』が、「不意の一撃」めいたはったり感があるのに比べ、サロートの論文には、派手なマニフェストは一切ない。それゆえ、トリッキーな印象は少ないのである。実際に、作品そのもののも堅実で、先入観を取り払った、愚直なまでに誠実な読みが求められる。
 実作には、そのような傾向がさらに顕著だ。『生と死の間』や『あの彼らの声が……』など、サロートが「意識の流れ」を極限まで突き進めた作品を追いかけていくと、読んでいる言葉が名指しているものが、行為でもなければ心理でもなく、あえて言えばそれ以前の、言葉にならないマグマのような感情そのものではないか、と思えてならなくなる。


 同様の読後感は、日本語文学、とりわけ「第三の新人」の作品にも感じる。描写スタイルは違えど、希求するものが似通って見えるのだ。例えば、結城信一の『空の細道』(講談社文藝文庫)は、寝たきりの老人が抱いた清純な少女への妄念を描いた(読んでてこっ恥ずかしい)話であった。こうした「無垢を希求すること」には、どうしようもない幼さを感じてしまうのだが、幼いがゆえに結城の言葉は切実であり、切実であるがゆえに、サロートとは別の角度(ええ、ヌーヴォー・ロマン私小説の叙述スタイルが似通っているなどとは言っておらんのです)から、マグマに喰らいついているように見えるのである。


 サロートにしろ結城にしろ、彼らは孤独な高みを志向し、結果としてそこに到達しているかに見える。しかし、言語が批判され、それによって言語以前の感情が再検討されるという流れは、いわば苦肉の策だったということを忘れてはならない。
 どうしようもなく不器用だった彼らとはひと味違った方法で、想像力を羽ばたかせることはできないものか? そのためには、文学に関する想像力の質を、おそらくは根本的に変容させていく必要があるのだろう。


 さて、8月に入り、優れた作家どうしの公開対談に、2つほど出かけてきた。8/9にジュンク堂書店池袋店で開催された「『ミノタウロス』を語る―佐藤亜紀×仲俣暁生」と、8/25に三省堂書店神保町本店で開催された「伊藤計劃×円城塔」の公開対談である。
 いずれも刺激的で、今まで述べてきたような「想像力の質の変容」について考えるのに、たいへん役に立った。とかく、彼らのユニークな作品が、ともすると読者を囲い込んでしまいがちな制度の「外側」に繋がるような何かが垣間見えたのは、収穫と言ってよいだろう(囲い込まれるのも、それはそれでよいものだけれども)。
 それを、「世代」や「作風」などというタームで括ってしまうような愚は避けたいが、彼らの試みを受けたうえで、私(たち?)はいったい何ができるのだろうか。


追記:せっかくなんで、仏文トリヴィア。サミュエル・ベケットとサロートの面白い繋がり。

1939年、第二次世界大戦が勃発。1940年にはナチス・ドイツがフランスに侵攻し、パリを占領した。

大戦中、ベケットはフランスのレジスタンスグループに加入。ナチスに対する抵抗運動に参加する。しかしゲシュタポの捜査が身辺に迫り、友人が逮捕されたことを受けて小説家ナタリー・サロートの自宅の屋根裏に長期間かくまわれ、同じくゲシュタポから隠れていたサロートの父親と同居生活を過ごした。

その後パリを脱出。田園地帯を数ヶ月放浪の後、ルーション地方の農村に2年半もの間潜伏した。その期間、ベケットは小説『ワット』(1953年)を書いた。

引用元はWikipediaの「サミュエル・ベケット」より。



生と死の間

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