作家の佐藤亜紀氏がTwitterにて、しばしば私を名指しで、「卑しい人間」などと誹謗中傷を行っている。
これは納得のいく批判ではない。そこで、簡潔に事実関係を記すことにした。以下は、佐藤氏の人格や作品を貶めることを企図したものではないことを、あらかじめお断りしておく。
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Twitter上で佐藤亜紀氏に直接、理由を訊いたところ、2013年11月16日に、私が日仏会館で司会をつとめた「パスカル・キニャールを読む日本の作家」(佐藤亜紀×小野正嗣)について、当方の司会ぶりに不満があったのが根本の原因だということだった。
しかしながら、上記イベントに関し、2013年11月17日のメールで佐藤亜紀氏からは、「いずれ是非今回の慰労会をと思っております。」、「特に嫌なこともなく、岡和田さんの司会ぶりは堂に行ったものでした。いずれ岡和田さんの出るイベントも見に行きたいものです。」(文脈に必要な最低限の引用)という賛辞が届いており、明らかな矛盾がある。
さらに佐藤氏は、ツィッターで「私は事前にも、直前にも、小野正嗣先生を交えた打ち合わせを頼んだ。が、あなたは拒否した。そして本番では、私が準備したものと重なりさえしない方向で話が進んだ。」とも書いている。
私が事前に打ち合わせを拒否したというのは、はっきりと事実ではない。なぜならば、当該イベントのための佐藤亜紀氏との事前連絡は、すべてメールでやりとりをしており、その記録が逐一、残っているからだ。その数、40通をゆうに超える。
準備の最初から佐藤亜紀氏の意向をうかがい、最大限の努力を尽くしてきた。事前に、明治学院大学まで足を運んで、小野正嗣氏とも打合せをしている。質問内容も前日にレジュメで登壇者に配っていた。また、当日には登壇者それぞれが過去に発表したキニャール評を、当人の許可をとったうえで、参考資料として紙媒体で配布してすらいる。
佐藤亜紀氏には、何かの勘違いなので手元にあるメールを参照して経過を確認していただきたい、と連絡したが、「あのメールアカウント、もうないんだよ」という返事だった。
ただ、私の手元には、当日のターブルロンドについても、録音データが残っており、どういうやりとりがなされたかは、細部に至るまではっきり確認することが可能である。
当該イベントそのものについては、ネット上には好意的な反響が見られた。作家の仁木稔氏のブログも、当日の雰囲気をよく伝えている。司会者としては相応の手ごたえがあり、控えめに言っても成功だったと任じている。イベント後のやりとりの際、主催者側の姿勢も成功というものだったし、複数の参加者や編集者もイベントを観覧し、充実した内容だったと請け合っていた。
ところが、佐藤氏は大きく意見を変え、岡和田によって自分がキニャールを前に虚仮にされた、と主張している。けれども、録音データを確認してもそのような強い非難が相当するような事例は一切見当たらない。終始、和やかな雰囲気のパネルであった。
なお、氏が事前に希望されていたNG条項は、イベント内で佐藤亜紀氏を「SF・ファンタジー作家」として扱わない(紹介しない)ということであり、それは遵守した。
私は自分が犯した過ちがあれば、反省して改善する構えである。しかしながら、明らかに事実ではない事柄に対しては、物書きとして、さらにはイベントに来てくださったお客様への責任があるため、嘘をついて「はい、そうです」と首肯することはかなわない。何より、公開の場で繰り返し事実ではないことを名指しで流布されるのは、真に受ける人も出てくるので迷惑している。
そのため、最低限の事実に関して、この場で記録しておくことにした。
【2018年7月追記】
本エントリは、2017年10月末日に本ブログにて一般公開する予定であったが、もう少し様子を見るべく、非公開措置にしていた。しかし、2018年7月現在になっても佐藤亜紀氏が同様の誹謗を繰り返しており、そればかりか、岡和田が特定の人物の「手下」として他者を中傷する人物であるとも書いていることが判明した。前者については、上記のエントリで説明を記したが、後者についても、事実ではない。岡和田晃は誰の「手下」でもないからである。そのため、非公開措置にしていた本エントリを、バックデイトの形になるが、防衛措置として公開することにした。
【2020年1月追記】
2020年になってもなお、同様の事実無根の中傷が続いている。今度は「打合せをしていない」から、「打合せにない本について話し続けた」に、中傷の内容が変わってきた模様である。しかも、私が「子犬」として、ある「米文学者」の指示を受けてそうしたという内容なのだが、私はパスカル・キニャール国際シンポジウム開催委員会のメンバー、つまり「仏文学者」(not「米文学者」)の依頼を受けて司会をしたのである。幾重にも事実無根が上塗りされている。
ちなみに、私は大学在学中と卒業後の計2年間、早稲田大学の客員教授をしていた(当時)佐藤亜紀氏に個別指導を受けたことがある。私は誰かの「弟子」だと吹聴することが好きではないので、このことはネットであまり公には書いていないが、2年教わったことで「弟子」だとみなす向きもあるだろう。私は他の人に、2年も個別指導を受けたことは、2013年以前にはなかった。それは佐藤氏自身がよく知っているはずのことである。にもかかわらず、私が他の誰かの「子犬」だと、事情を知らない者に向けて喧伝することは、不条理である。
【2021年9月追記】
まだこのツィートで中傷が続いている模様なのだが、もはや原型をとどめていない。私が価値形態説の話をしたことが、なぜか、佐藤氏が貨幣数量説の話をしたことになっている(そして「ブルジョワ的発想です」と私が遮ったことなどまったくない)。また、「陥れた」お返しに私がインドのシンポジウムに出たことになっているが、それも事実ではない。キニャールのイベントは2013年、インドに私が行ったのは2017年。しかも、「米文学者」はおろか「仏文学者」ですら関与していないのは、科研の報告書に書かれているとおり。ウォルシンガムの話をしたのも別の機会で、ハッチンソンの伝記本(『エリザベス朝のスパイ・マスター』)が日本語になる前。2014年頃、戦略研究学会の学会誌に出た原書の書評を渡したように記憶する。それを「構造」を取れてないと言われても、書評を紹介したという話にすぎないので呆れるほかない。それぞれ別の機会の話がなぜか融合しており、話も支離滅裂で、理解に苦しむ。
【2021年10月追記】
2020年1月の「子犬」デマと同様のものを確認。
【2022年5月追記】
Twitterのアカウントも変えて同様のデマを確認。無神論、信仰、神などという関係のない発言が入り混じっている。私は申告な脅威を感じており、代理人ないし立会人のもとで話し合うことを提案した。
【2023年12月追記】
2022年5月、2023年10月、佐藤氏と2度にわたり、電話で長く会談した。最初こそ緊張した調子だったが、互いの近況や問題意識について、徐々に落ち着いた和やかな雰囲気で話し合いができるようになった。本件とは別に、意見交換による気づきさえ得られ――和解というには性急かもしれないが――少なくとも私のなかでのわだかまりはなくなった。佐藤氏には感謝したい。