書評サイト・シミルボンの「日本SF作家クラブ通信」に寄せた「SF評論入門」が、このたび公開になりました。原稿用紙換算で40枚ほどの大ボリュームで、なるべく評論家の固有名やジャーゴンを使わずに、根幹の部分を語ろうとした内容です。今後の展望を示しています。無料なので是非お読みください。
My recent criticism about speculative fiction has published on Shimirubon, a splendid Book Review website.
シミルボンの日本SF作家クラブ通信に寄せた「SF評論入門」が公開になりました。原稿用紙換算で40枚ほどの大ボリュームで、なるべく評論家の固有名やジャーゴンを使わずに、根幹の部分を語ろうとした内容です。今後の展望を示しています。無料なので是非お読みください。https://t.co/N7D9Symh9m
— 岡和田晃_新刊「ソーサラー・ソリテア」『現代北海道文学論』 (@orionaveugle) May 28, 2020
シミルボン連載「日本SF作家クラブ通信」第26回は、岡和田晃会員による「SF評論入門」です。SF評論の醍醐味と現状、そして展望を綴っています。これを機会に小説、映像などとあわせ、評論にもご注目いただければと思います。https://t.co/j8fDxBPJG6
— 日本SF作家クラブ (@sfwj) May 28, 2020
【連載!】日本SF作家クラブ通信 第26回
— シミルボン 〜本も読書人も、オモシロイ (@shimirubon) May 28, 2020
2020.05.27公開
SF評論入門 | 日本SF作家クラブ
( 世界にあけられた弾痕と、黄昏の原郷 SF・幻想文学・ゲーム論集 | 岡和田晃 )https://t.co/igtxKIs3ib
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いくつか自明すぎて書きそびれた点がいくつかあるので、アウトテイクとして補足しておきます。
まず、大前提として「表現の型式・形式に貴賎はない」。四百字ほどのショートレビューが、一冊の博士論文よりも重要な内容を言っていることって、普通にあるのです。アカデミズムに慣れれば慣れるほど、見過ごしがちなことですが。
次に、「書き手にだけ責任があるのではなく、読者にも責任がある」。読者が容認するからこそ、自堕落な表現が蔓延するという相互依存があります。もちろん、一部で言われるように「批判」即「規制」でもない。
そして「世代」の問題。書き手の実年齢としての「世代」へ過剰に拘泥するのって、酷く非SF的だと思いませんか。「世代」が感性を育むとは思えない。重要なのは勉強しているか、する気があるかどうか。「世代」は、せめて「文化環境」と言い換えるべきでしょうね。
なお、週間記事ランキングで、日本SF作家クラブ通信に寄せた「SF評論入門」がトップをいただきました。ありがとうございます。