「SF JAPAN 2010 Autumn」に柴野拓美論を書きました。


 11月30日発売予定の「SF JAPAN 2010 Autumn」は、なんと柴野拓美特集です。

SF Japan 2010 AUTUMN

SF Japan 2010 AUTUMN

 内容については以下、牧眞司さんのGhost Sound(Twitter)での発言をまとめたものを御覧下さい。30ページあまりの特集という空前のスケールに、ただ感服するしかありません。

これまでたびたび言及していた特集企画について、編集部から情報公開解禁のサインが出ました。雑誌は徳間書店の〈SF Japan〉。「SFに生きたひと 柴野拓美」(仮題)として、柴野さんの創作、翻訳、ファン活動など、それぞれの領域での事績を紹介する、30ページあまりの特集です。
2:07 PM Oct 5th webから


(承前)〈SF Japan〉でこれだけ誌面を割いて特集を組むのは(小説作品を別にした計算)、もしかするとはじめてかもしれません。珍しい柴野さんの文章も再録します。
3:50 PM Oct 5th webから


柴野拓美さんの特集が掲載される徳間書店の〈SFJapan〉は、11月末(地方によっては12月初頭)の発売。柴野さんの仕事(創作・翻訳・監修・宇宙塵編集・ファン大会・海外との交流、などなど)を紹介するほか、
8:56 PM Nov 5th webから


(承前)岡和田晃さんによる柴野拓美論、牧と長山靖生さんが今春のSFセミナーでおこなった対談「柴野拓美:日本SFの転換点」の採録、「柴野拓美さんを偲ぶ会」のレポートなど、盛りだくさん。
9:01 PM Nov 5th webから


(承前)柴野さん自身の文章も、SF論「「空想科学」宣言 」、ファン活動論「ファンダムへの期待」を再録。前者はSFMが初出、後者はガリ刷りファンジンに発表したもので、とても珍しい。
9:04 PM Nov 5th webから


(承前)柴野さんの仕事紹介では、新井勝彦、風野春樹鈴木力、代島正樹、林哲矢、三村美衣、向井淳といったイキの良い書き手が筆をふるっています。面白いよ−。もちろん資料としても価値ありと自負しております。
9:10 PM Nov 5th webから


「特集 SFに生きた人 柴野拓美」が掲載された〈SF Japan〉が届いた。もうすぐ書店にも並びます。特集では、柴野さんの広範なSF活動(プロとファンに両方にまたがる)を多角的に紹介。ぼく自身が柴野さんから直接にうかがった話なども盛りこみ、ほかでは読めない内容になっています。
11/27


(承前) 企画段階でぼくが意識したのは、生前の柴野さんとそれほど関わりが深くない、比較的若い世代を中心に原稿を書いてもらうこと。新鮮な視点から柴野さんの仕事を評価し、柴野さんの考えていること、柴野さんが創りあげているものが、現在・将来にも重要であることを強調したかった。
11/27


(承前) 力のこもった柴野拓美論を寄せてくれた岡和田晃さんは20代。彼は〔柴野理論は原理的に古びない〕と喝破している。
11/27
http://twitter.com/ShindyMonkey

 そしてこちらに、恐れ多くも「柴野拓美メソドロジー」と題しまして、「「集団理性」の提唱」に代表される「思想家としての柴野拓美」という主題にて小論を寄稿させていただきました。「柴野拓美」を、ポストヒューマニズム論の先駆者として捉え直しています。なにしろ、「宇宙塵」のいまい・あつをさんとの論争が1960年ですから。今読んでも、「引き寄せられていく」のではない独創的な構築性があり、これは現在のポストヒューマニズム論に最も欠けているものではないかと思います。


 私が初めて買ったSF小説は、古本で見つけた『銀河パトロール隊』(旧版)でした。その時、すでに小隅黎柴野拓美と出逢っていたわけです。柴野さんが小隅黎名義での翻訳・紹介されたハードSFは、いずれも素晴らしいものでした。『スリランカより世界を眺めて』の翻訳も素晴らしかったですし、最近はようやく、『レッドシフト・ランデヴー』を手に入れ、悦に入っている次第です。


 ただ、柴野拓美という人を単なるハードSF原理主義者として理解してしまっては、その意義を捉え間違えてしまうとも確信しました。なるほど、柴野さんはニューウェーヴにもヒロイック・ファンタジーにも否定的で、80年代以降、活字で見られるSF観は、ともすれば非道く偏狭なものとして括ってしまうことも可能でしょう。
 私は柴野拓美さんと面識がない世代に属しているため、そのように片付けてしまうことは簡単です。しかしながら、遺された論考や論争の経緯、あるいは「コンピュータ時代の選挙と議会」の独自性などを鑑みると、とてもそのように矮小化して済ませることはできません。言葉の裏にある柴野拓美さんの思想が、いったい何を志向していたのか、そこのところを見る必要があるのではないかと考えます。


 日本SFの基礎を作った柴野拓美という巨人の読み替えは、これからのフィクションを考えるうえで欠かすことのできない作業であると思います。さもなければ、ハードSFはもちろん、ニューウェーヴを考えることも、ヒロイック・ファンタジーについて議論することも、さらには未来の文学について考える作業さえもが、ひどく迂遠なものとなるでしょう。責任の重さに畏れ多いものを感じながらも、そのための土台の一部は提示することができたという自負はあります。
 よろしければ『日本SF論争史』に採録されている「「集団理性」の提唱」と併せて、拙稿をお読みいただけましたら幸いに存じます。

日本SF論争史

日本SF論争史